生きるとは何か - No.95

刻々と過行く「いのち」のながれ

2019年10月12日発行

目の前にあるあらゆる事象は、私たち自身を含めて刻々と過行く「いのち」の流れなのです。漠然として見ていても、光によって運ばれた目の前の事象は脳のなかで再編成されているので、気づくことはできません。ここで出番になるのが仏教です。特にテーラワーダ仏教では身体と心の動きをありのままに観察するヴィパッサナ瞑想という実践法があります。正しい指導者について訓練することが必要ですが、そこでは誰でもすぐに瞑想実践を始めることができるものです。
最終的には身心の無常の流れを感じ取れて、無常、無我、苦などの仏教の根本に達して、苦からの解放を実現していく実践方法です。しかし、知的に学習することでも無常の流れは納得して理解することが可能であると思っています。20世紀以降の現代科学で明らかになった科学的事実を積み上げることで、深く得心ができるとの思いで「生きるとは何か」をテーマとして推考しています。
その科学的知見を単なる知識でなく、自然界の真理の一つとして頷きをもって捉えることで、生きている姿の見方が変わってくるのです。電気学会の第50回電気電子絶縁材料システムシンポジュウム(名古屋大学、2019年9月19日)で発表する機会に恵まれましたので、「自然科学と人生哲学」と題して、三つの事例を取り上げて話をしましたので紹介いたします。

自然科学と人生哲学

まえがき
私たち人間は、素晴らしく高度な自然科学や先端技術をつくり上げました。その結果、生活が快適になり、交通手段は発達して、情報のやり取りも一瞬で世界と繋がり便利になりました。しかし、毎日の生活では、相変わらず悩みや苦しみは減ることもなく、便利になったぶん、反って苦労が尽きないように感じているのではないでしょうか。
21世紀の今、自然科学は著しい発展を遂げて、宇宙の始まりから、生命の起源や生命の本質にも迫っています。私たちを成り立させているDNAの構造が解き明かされ、医療関係にも展開が広がっています。分子生物学分野ではミクロな分子から生命を論じて、タンパク質の構造や生成消滅まで、身体の詳細な仕組みが解明されています。脳科学では人間の心の働きを生みだす脳の構造や機能を明らかにしてきています。
このような自然科学の発展が人間生活向上に大いに寄与しているが、それが本当の幸せに繋がっているかとなると疑問符か付くのではないでしょうか。物が大量生産され、生活は豊かになって、便利で、情報は瞬時に入手できるし、世界のどこにでも簡単に旅行できる。一世代前の人から見れば夢のような現実があります。しかし、高学歴社会になっても貧富の格差が広がり、派遣社員の増加、低賃金による共稼ぎが普通になり、次世代を担う子供教育にも歪が出ています。これらは物の豊かさだけを追求し、人間の心の豊かさを育てることを置き忘れてきた結果であると思います。

1.人生哲学の必要性
大辞林辞書で調べると「人生哲学」とは、「人生をいかにみるかの哲学、人生の目的・価値・結果・手段などについて研究し、正しい生き方を説く哲学」と定義されています。大多数の方は、良い学校を出て、良い会社や官庁、大学で成果を上げて実績を残すことが人生の目的であるとの考えと思います。世間常識でみれば立派なことで、本人が満足しているなら、傍から余分な意見をする必要はありません。
 しかし、人生は、一瞬先に何が起こるかわかりません。災害大国日本での最近の最大の自然災害は、東日本大震災でした。巨大津波で多くの人命が失われ、そのうえ現代科学技術の最先端である原子力発電所がメルトダーンするという大事故も起こしています。目先の豊かさだけを追い求めることでは、社会は良くならず、人の心も向上しません。
60歳退職後に、両親の世話をしながら、几帳面な性格であった母の認知症が進むにつれて、今まで出来ていたことが次第にできなくなり、人格が崩れていくのを見ていて、「生きるとは何か」と考えていました。
人間の真の姿は、何なのか?と疑問が湧いてきました。脳の機能に障害が生ずると「私」と思っていた「私の尊厳」は消えますが、本能的な自意識は残っていることに気づかされました。
生物としての人間は、「生きていたい」という本能としての存在欲はあるので、腹が空けば食事をしますが、食べたこともすぐ忘れる状態でした。母の世話を通して、正常なときに「私がある」と思っていた「私」は、脳が創り出している幻覚でしかないのではと思いました。
「私」という個人は独立した存在のように見えますが、よくよく観察すると、自然と一体で、あらゆるものと相互に関連し合っていることが分かります。 心と身体は一体であり、出会いによる「縁」を、どのように生かしていくかで人生が創造されていくのではないでしょうか。 現役の時は、仕事や研究で目一杯の状況でしょうが、人生の節目で「自分とは何者か」「生きていることの意味」など人生の深みを哲学してみることも大切です。人生の時間は一刻一刻と過ぎてゆき、戻ることはありません。

2.身体は無常の流れ
生物学や分子生物学の本を読んでみると、生きるということに関連する大切な基本的知識が欠落していたことに反省させられました。「生きるとは何か」と考えるためにも「身体」についての基礎的な知識は必要であり、調べる方向が定まると欲しい本が目に止まってきます。生きていることの本質は「無常」(変わらないものはない、常に変化している状態)なのだと気づいてみると、そのことを証明する事実が、生物学や分子生物学に書かれていることが分かりました。
身体をミクロの視点で観察すると、無常という事実が見えてきました。分子生物学の福岡伸一(1)によれば、身体の中に入った食物は、一瞬も留まることもなく、変化しながら全身を巡り、役目が終われば元の環境に戻っていくと述べています。身体は一時的な「流れの淀み」と見ることができるとのことです。
「私たちの身体は、たとえどんな細部であっても、それを構成するものは元をたどると食物に由来する元素なのだ。私たちが食物として口に入れるものは、肉にしろ、穀物にしろ、果物にしろ、すべての元はといえば他の生物の身体の一部で在ったものだ。なぜ、私たちは他の生命を奪ってまで、タンパク質を摂り続けなければならないのだろうか」と。その理由は「タンパク質はアミノ酸にまで分解され、アミノ酸だけが特別な輸送機構によって消化管を通過し、初めて「体内」に入る。体内に入ったアミノ酸は血液に乗って全身の細胞に運ばれる。そして細胞内に取り込まれて新たなタンパク質に再合成され、新たな情報=意味をつむぎだす」と述べています。
また、「生命が「流れ」であり、私たちの身体がその「流れの淀み」であるから、環境は生命を取り巻いているのではない。生命は環境の一部、あるいは環境そのものである」との言葉もあります。
これらのことを単に知識が増えただけ、と考えてしまうと、生きることの真理から遠のいてしまいます。身体は無常で、刻々と変化している、と頷きをもって捉えられると深い理解に繋がります。

3.身体は粒子の集合体
私たちは「今」を生きるしかない命なのです。過去は過ぎ去って戻ることはない、未来はまだ来ていないのです。分かりきったことですが、日常では漠然としか認識していません。地球上にいるあらゆる生命は同じ生命原理によって生命をつないでいます。我々は、一瞬一瞬変化している事実を認めなくてはなりません。常に同じ実体を持った私はいないのです。科学的にミクロな視点でみると、私たちの体は原子の集合体と見なすこともできます。原子は絶えず動いています。原子の結合した分子も、より複雑に結合したタンパク質も身体を構成し、生成と分解を繰り返しているのです。

苦悩の中で掴んだ心の解放
生命科学者の柳沢桂子氏が36年の長い病床生活の中で、心の大転換を経験している事例がNHK「こころの時代 特集号」(2)に記載されています。非常に参考になりますので、その部分を要約して引用します。
病床生活の中で、中村元、紀野一義氏の注釈書「般若心経・金剛般若経」を10年も続けて読んでいたとのことです。まったくわからないながら般若心経の塊が、なんとなく、少しずつほぐれていくような感じは持っていた、そのようなときのできごとです。
車椅子で散歩をしているときに、「大変でいらっしゃいますね」と声をかけられたそのとき、「私は、“かわいそうな人”として哀れみを受けたのかしら」と、心にひっかかったそうです。そして、何か大きなものにドーンと背中を突かれたような気持がして、それは、「あなた」がそこにいるからだという声が聞こえたそうです。「あなた」とはつまり、自我です。自我がなければこの世に苦しみはないのだということが強く感じられて、それ以来とても楽になりました、と語っています。
この話のなかで、ポイントになるのが「自我」はないのだと気づいたことです。「私」という「自我」がなくなれば当然苦しむ私はいないのです。私たちはどうしても「自分」に執着します。この自分がなければ世の中を生きてきた意味がないだろうと思ってしまいます。しかし、「私がいる」という執着をなくせば、苦しみから解放されると般若心経は説いているのです。事実、柳沢桂子さんは苦しみから解き放たれたのです。

一元的にとらえた真理

素晴らしい般若心経の解釈(3)をしています。その一部分である「舎利子 色即是空 空即是色」の箇所をどのように意訳しているか以下に示します。
 お聞きなさい
 私たちは広大な宇宙のなかに 存在します
 宇宙では 形という固定したものはありません
 実体がないのです
 宇宙は粒子に満ちています
 粒子は自由に動き回って、形を変えて
 おたがいの関係の
 安定したところで静止しています

 お聞きなさい
 形あるもの いいかえれば物質的存在を
 私たちは現象としてとらえているのですが
 現象というのは 時々刻々変化するものであって
 変化しない実体というものはありません
 実体がないからこそ 形をつくれるのです
 実体がなく変化するからこそ
 物質であることができるのです

真理をこのように一つの根本的原理によってとらえている素晴らしい訳であると思います。

4.心は電気仕掛け
心はどのようなものかと考えたことがありますか。私がいて、何かを思っている、その思うこと、考えること、そのように働く機能が心だと漠然と感じているのではないでしょうか。仏教では、心を「認識するはたらきである」(4)と見ています。
例えば、目で赤いバラみたときの心の動きは、まず赤いバラだと認識します。次にあの赤色は情熱的で美くしいとなどの印象が付け加えられます。見た事実だけではすまないで、自分なりの感想や思いが付加されて、全体としてバラを見たときの意識(心)が立ち上がるのです。その心の働きは瞬時に生滅します。目は次々と焦点を変えますので、心はず~とつながっているように感じるのです。
認識する働きは眼耳鼻舌身の五つの器官で行われて、脳に伝えられた情報は形や色、音、匂い、味、感触として確識し、意味付けがなされ意識に上ります。
心の生滅は一瞬で、あまりにも速いため、人はそれに気づかないで、あり続けていると思ってしまう。そこに「私がいる」との錯覚が生まれる、と上座仏教の長老は説いています。この言葉を、漠然と聞いただけでは感動もしないと思います。そこで科学的な視点から心の生滅を調べて見ると、知的に理解できて納得が得られと思いましたので報告します。
 神経細胞は電気信号と化学物質で情報を伝達
脳の神経細胞(ニューロン)の構造と動作の仕方を知ることが、必要と考え、その調べた結果を以下に示します。山鳥 重の著書『心はなにでできているか』(5)によると、ニューロンは、大きな核のある細胞から情報を受け取るための多数の樹状突起を持ち、情報を送るための長く伸びた軸索があり、その末端はやや平たくなり、他の細胞と接しているとのこと。そのつなぎ目の部分がシナプスです。
ニューロンは電気信号(インパルス)で伝達するが、ニューロンのつなぎ目のシナプスでは化学物質が伝達されています。大脳皮質の一個のニューロンには、なんと1万個にも上がるシナプスあり、一つの細胞体から伸びる軸索も枝分かれをして、何本もの軸索を伸ばしているとのことです。
一個のニューロンが一個のニューロンに接続して、それが続くのでなく、数十個のニューロン間でも、ものすごい数の結合点を持つ回路が作られている巨大なニューロンの塊のように複雑化している、と説明されています。
ニューロンの細胞内外にイオンの濃度差があり、細胞膜にあるタンパク質のイオンチャンネルが開くと瞬時にイオン流入して電気信号であるインパルスが発生します。その電気信号がシナプスに送られると化学物質の放出につながります。

 シナプスのミクロな世界
シナプスの概念図(図1-6)を理化学研究所の脳科学総合研究センターが編纂した『つながる脳科学』(6)から転記します。シナプスで起きていることの概要が分かりやすく説明されています。
図1-6に示したように、シナプスには化学物質である神経伝達物質が充填されたシナプス小胞が待機しています。電気信号がある数値(閾値(いきち))以上になると、小胞が細胞膜内壁と融合し、開口して神経伝達物質が放出されます。細胞膜に融合したシナプス小胞は、再び細胞内に引き込まれてリサイクルされるとのことです。

    (理化学研究所、脳科学総合研究センター編「つながる脳」(p53))

脳は電気的信号だけでなく、細胞同士の接合部のシナプスで神経伝達物質が関わり、人間の感情が絶妙に制御されている仕組みを知ると、自然が自律的に創り上げた人体の凄さに驚かされます。この仕組みを見れば心の生滅の速いことが頷けます。私たちは分解能が低いので連続して心はあると思ってしまつているのです。

まとめ
「生きているとは何か」「私とは誰ですか」など人生の本質について、現役時代は問うことはないでしょう。シニアになって人生の終点が身近に見えてきて、生きる時間の有限性を肌で感じ、人生を哲学しました。

① 世のなかのあらゆる物は「絶えず変化して留まることのない無常の姿」である。
② 身体の働きをミクロに見るとそこには「一刻も留まることのない物質の流れ」がある。
③ 身体を一元的に見ると動き回っている粒子の集合体がある。
④ 心の生滅は一瞬で、速すぎていつもあると錯覚する。その結果「私がいる」との幻想が生まれる。
紙面の都合で個々の事例も詳細には語れませんので、興味がありましたらホームページ(7)を覗いてください。三つの事例の詳細を記載しています。

参考文献
(1) 福岡伸一『動的平衡:生命はなぜそこに宿るのか』(木楽舎、2009年)
(2) 柳沢桂子『ラジオ深夜便 こころの時代 特選集上)』(NHKサービスセンター、2010年)
(3) 柳沢桂子、堀文子『生きて死ぬ智慧』(小学館、2004年)
(4) スマナサーラ、藤本晃『ブッダの実践心理学 第四巻 心の生滅の分析』(サンガ、2006年)
(5) 山鳥 重『心はなにでできているか』(角川選書、2011年)
(6) 理化学研究所脳科学研究センター『つながる脳科学』(ブルーバックス、講談社、2016年)
(7) https://www.gotokazu.com/ (人生悠然)

発表を終えて
シニアセッションでの発表は僅か15分でしたが、終了後に40代の企業の研究者が来て、「感動しました有難うございました。涙が出ました」とお礼の言葉をもらいました。後日、どのようなところに感動したのか宜しかったら教えてくださいとメールしました。以下は、返信されたメールの文面です。
―――――――――――
私の場合、冒頭の部分で引き込まれました。

シンポジウムで発表されるほどの実績を残された方が、
大事なことを見落としている、というか、
本当に考えなくてはならないことについて皆さんに対して仰ったことです。

18歳で治らない病気と宣告され、
2年弱前の手術で医師には言われた訳ではない残り10年の寿命を意識して、
しかし、それを受け入れるのではなく、
現代医療(厚生労働省ガイドライン)から脱却する道を選択し、
80歳になっても元気でいられるように日々努力しているつもりです。


仏教が私に合うか分かりませんが、
元気に長生きされている、その秘訣について伺えればと思いました。

わざわざ名古屋まで行って話をした甲斐がありました。秘訣を伺えればと思いました、とありましたので、以下の返信をしました。

 難病を抱えても前向きに活動されていると推察しました。

仏教は科学的で、理知的なもので、生きている真実の姿を気づかせくれる教えです。発表でも申しましたが、私たちは一時も休むことなく変化を続けている無常な身体なのです。変化するから固定した「私」がないのです。
本来、この身体は私のものだというものではなく、自然が自律的に活動して生かしてくれているのです。

私たちは、自己中心的な私という自我が全てであると思って生活しているから、他人との意見の衝突や、自分の所有物(プライドや財産など)を損なわれると怒りや悲しみ、憎しみの心が生まれるのです。これらは大きなストレスとなり、身体に悪い影響を及ぼします。

自我の意識が薄れるに連れて心は穏やかになり、ストレスの少ない生活が出来ます。
長生きの秘訣です。
 購入していただいた本(生きるとは何か)にすべて書いてあります。
繰り返し読むことで
分かってくると思います。

後藤 一敏 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

コメントを残す

*