生きるとは何か - No.26-2

誰でも正しい意見を言っている?

2026年2月1日発行

日常の意見は人それぞれ

私達は日常生活の中で、自分の意見は正しいと思って発言をしていると思います。しかし、その背景を探ってみると、個々の人の経験や学びのレベルとその深さが異なりますので、それぞれの思いや意見は同じではありません。

具体的な話として、新年早々に、国会が解散し、衆議院選挙が行われることになりました。多くの政党が自分たちの政策を公表し、この政策がベストであり、正しい方向であると主張してます。またある政党は、自分たちの今までの政策を放棄して、議員生命の延命のために反対の政党に吸収されたような形で新党を立ち上げています。議員は一度得た名誉と権威を失うことを恐れて、右往左往しています。利害優先で、自分さえ善ければという自己中心的な心で議員をしていれば、人格向上の努力も怠り、簡単に変節するのです。

我々庶民は、自分が思っている考えと近い政策や政党を選択することになりますが、自分の考えや意見も、利害や人情が絡まりますから正しい判断をしているか怪しいものです。正しいという基準が、時代やその時の世間常識の変化で異なることになります。ここでの記述も、私の個人的な意見で、偏向していると言われると思います。

・正しい意見とは(正見(しょうけん))

ブッダは、人生は苦であると見極めた。この苦を脱するためには八の正しい道を実践しなさいと、八正道の教えを説いています。その第一は正見です。スマナサーラ長老の「恐れことは何もない」(1)を参考にして述べますので、ある部分は長老の言葉と私の意見が混在しています。

やってしまったことは後悔なんてしない

・正見は、正しい意見や正しい見解、正しい見方などという意味です。経典の原文を解釈すると「完全」「完璧」という意味で、日本語の単なる間違いに対する「正しい」と言うことではないのです。洗練されて、磨かれている意見という意味です。私たちは何か言うときに自分を中心において言葉を発しますが、そこには自己都合が潜んでいます。相手のことを真に思い、意見を言っているか振り返ることも大切です。今やっていることや意見が本当に正しいかは時間が経ってみると間違っていたこともあります。
私たちは完璧な言葉や意見を述べることはほぼできません。間違ってしまったことを後悔し、ぐずぐずと悩みを持ち続ける人は自分で苦しみを作りだしているのです。

反省(再評価)かすることが大切

言ってしまったことが間違っていたら、それを反省して直すことです。結果を見てから「それが良かったか、悪かったか」と人は言いますが、それは誰にも分かります。評論する人は結果を見て批判しますが、その前に「それは危ない」「これはやったほうがいい」と決められることが建設的な意見です。間違えたら反省することが大切です。反省というのは原因と結果を再評価することです。成功したときでも、反省は大切です。なぜこの結果になったのか振りかえり再検討することで、新しい知見があり、前より一歩前進し、良い結果が生まれて、次に繋がるのです。

・正しい思考とは(正思惟(しょうしゆい))

八正道の2番目は正思惟です。思惟とは考えることです。苦しみを考えること、発見することです。私たちはとにかく考えることが好きです。思考することは人間の特権のように思われますが、はたしていいことでしょうか。妄想したり、下らないことを考えたり、夢想したり、空想したり、余計なことを考えるから、それが元でトラブルを作っています。それが自分だけの偏見や独断であることに気づかないまま、自分の考えたことを実行しているのです。これが自分で生み出した妄想だと分からないので実に危ないことです。

最近、ストーカにより女性が被害に遭い、殺害されたニュースがあります。犯人は自分の思いや行為は妄想や独断であることに気づいていないのです。
考えざるをえないなら、次の三のことを考えに入れましょうとブッダは説法しています。

第1はものごとに執着しないこと。

ものごとに執着すると、一時的には満足するが、やがて苦しみが生じます。
私の個人的なことですが、定年後、両親の世話するなかで、空いた時間を有効活用するために仏教や絵画や書道を始めたところ、どれにも興味を持ち書物や道具を買いためて溜りすぎてしまいました。それも執着が過ぎた結果です。今になり如何に処分するか悩んでいます。趣味や芸事などは執着しないと進歩はありませんが、過ぎると苦しみが伴います。人生において執着をなくすことは難しいことで、かなりの努力が必要と思います。

第2は慈しみのことを考えること。

世の中で何か起ると、「あの人が悪い、あの人はいけない」と我々はすぐに怒るのです。そういう怒りばかりの考え方ではなくて、それを慈しみの心に変えて考えてしまう。慈しみの心に入れ換える。「人間はやっぱり、お互い仲良くできるといいなあ」「日本も外国と仲良く出来ればいいのに」と慈しみの心で対応できると平和な関係が築けます。
歳をとると関係する友人が少なくなっていくので、意識して、仲間作りが必要になります。相手に慈しみの心を持って対応すると、良い関係性が生まれて、縁も深まり友好関係が築けます。

第3は、非暴力、相手に害を与えないこと。

人が何か間違ったことをやっても、それを責めたり、罰を与えるのでなくて、「何かいい方法はないか」と相談に乗ってあげるような気持ちで対応して見ることです。暴力で解決するのは簡単なことです。だからこそ、「非暴力的なことをしようと考えましょう」と言うのです。考えると、世の中の問題を解決する方法をかぎりなく発見できるのです。人間を活性化させ、すごく元気にさせるのです。殺人を犯した人でも、心から反省している死刑囚もいるのです。人間の本性(善なること)を信じることが出来ると社会は良くなります。

ブッダからの贈り物

八正道の教えはブッダからの贈り物です。ブッダは宇宙の真理を体得し、四つの聖なる教え「四聖諦」(苦集滅道)の実践項目である八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)を説きました。ここでは、正見と正思惟の二つを取り上げました。

ブッダは、安楽な生活をなげうって修行実践により、宇宙の真理を明らかにし、人のあるべき姿を解明しました。そのブッダの教えが仏教であり、それにより多くの人々が救われています。しかし、祖師から祖師に伝わることで、大きく変質した大乗仏教が日本に伝播しました。しかし、教えの本質は底辺では導通していると思っています。スマナサーラ長老はテーラワーダ仏教の長老で、長く日本での布教活動をしています。私は長老からブッダ教えを多く学んでいます。写真1はブッダの苦行時代の像です。写真2は悟り開いた若きブッダの像です。

参考文献:A・スマナサーラ「恐れることは何もない」(学研、2010)

写真1苦行像                   写真2若きブッダ像

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