生きるとは何か - No.20-9

再度問うー人間の特性!

2020.9.1発行

最近の国際政治状況を見ると、超大国間の自国優先のゴリ押し外交により世界の平和は著しく損なわれています。ここでは具体例を挙げませんが、譲り合いなどと言う心の働きは少しも感じられません。超大国と言っても、所詮はトップに立つリーダーの人格で決まってきます。しかし、そのリーダーを決めるのも、私たち一人一人の心の働きです。
歴史的に見ても、過去から現代に至るまで、そこでは一人のリーダーの人格がすべてを決めています。現代では、世界を泥沼の戦争に導いたドイツのリーダーであるヒトラーを思い浮かべれば十分です。人間は獲得した知能によって、日常生活を楽にして、苦労しないようにと、科学知識を駆使して情報通信や大量輸送や航空網などを可能にして、便利な社会を作りました。一方、自国だけの利益と権利を保持しようと、相手を大量に殺戮する戦争の道具としての、核爆弾も大量に保有しています。最悪の兵器である核爆弾を落とされた日本では、今年で戦後75年を迎えました。国民が核兵器廃絶の声を大にして叫んでいても、被害国の日本が核兵器禁止条約に調印していない現実もあります。このような矛盾に満ちた国際政治状況でも、解決に向かうには国民の一人一人の努力に委ねられていると思います。6年前(2014年)に「生きるとは何か」(31)(34)で考察した内容を元に、再度、人間の特性とは何か現時点の視点で検討致します。

人類は霊長類のトップに君臨して、地球上を我がもの顔で占有しています。鳥のように空を飛べるわけでもなし、魚のように水中を自由に泳ぐことができませんが、大脳の発達により思考する能力を獲得して、空も水中も自由に移動できる手段を手に入れています。だが、この思考する心を自身で制御しきれないところに大きな問題を抱えています。

1.心のあり方で善くも悪くにもなる

6年前(2014年)の新聞やTVのニュースではストーカーによる殺人事件を事例に取り上げていますが、2020年の現在でも状況は変わっていません。ストーカーをする犯人には若い男性が多いようです。相手の女性から交際を断られると、執拗に交際を迫り、自分勝手な妄想をつのらせ、その感情が憎悪に変わり、殺人にまでいたっています。小さな子供などでも、いったん目にしたおもちゃがほしいとなると、大きな声で泣き叫びながら欲しいほしいと駄々をこねて母親を困らせている光景を見かけることがあります。子供なら何とか母親が気をそらせるようにして諦めさせることもできます。

しかし、一人住まいの若者や大人などは、周囲に相談や助言してくれる人がいない場合は、思い込むと自分の感情を制御するすべも知らず、妄想がどんどんと膨らんで行きます。最終的には、前後の見境もなく殺人にまで突き進んでいるのではと思います。ストーカー行為をする彼らは、自らの「心」について考えたこともなく、心が暴走しそうな時に、ブレーキとなる思い(引き起こされる結果に考えが及ぶこと)や感情(悲しんでくれる人の思いに気づく)が脳裏に浮かばないのでしょう。子供の時から豊かな人間関係のなかで育つと醸成され他人を思いやる心や、抑制する心を得る機会がありますが、彼等にはその機会がなかったことと思います。

2.ブッタの言葉に心の働きを知る

自分の心の働きを知ることや、その心の抑制は誰にとっても難しいことです。しかし、既に、2600年前にブッダは人間の心とはどのようなものか悟っています。ブッダの言葉を中村元訳「ブッダの真理の言葉(ダンマパダ)」(岩波文庫 1978)の第三章の「心」から探してみます。

・心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直(なお)くする。弓師が矢の弦を直くするように。

・心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたらば、安楽をもたらす。

・心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。

蛇足ですが、私なりに言い換えてみます。坐して心静に自分の心を観察すると、ちょっとした出来ごとにも心は動揺し、ざわつくことに気づきます。我が子が病気になったり、交通事故にあったりした場合などは、心は大きく動揺し、不安感で騒めき、押しつぶされそうになります。動揺する心を護り、抑えることは非常に難しいことです。

更に、心は捉えどころがなく、いとも簡単に騒めきます。その上、欲望の赴くままに行動してしまいます。そのような心を治めることは素晴らしく善いことです。心を善く制することができれば安楽な気持ちになることができます。心とはどのようなものなのか、智慧があり理解している人は心の平安を得ることができるのです。

・心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう。

・心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪の計らいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。

読んだままの分かり易い内容です。心は遠くに離れた人のところにも馳せ行くことができ、独り勝手に動き回ります。決まった形もなく、何時もは胸の奥に潜んでいます。この心を制御できる人は、死の恐れからも解き放されることができるのです。心に煩悩がなく、想念や妄念で乱れることもなく、善いこと、悪いことなどとか思案判別する心を捨て去っている人は、何も恐れることがなくなるのですと説かれています。

ダンマパダとは「法句経」といわれて、ブッダによって説かれた真理の言葉の集成です。このブッダの言葉にあるように、心はなんとも捉え難く、おさめ難いものです。それゆえ、法句経の最初の対句は、すべては心にもとづいてなされると教えています。

・ものごとは心にもとづき心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。―車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

・ものごとは心にもとづき心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。―影がそのからだから離れないように。

心の保ち方で、苦しみが生まれたり、幸福になれたりすると教えています。すべては心の働きによって生み出されるのであるから、清らかな心を持ち、行動するように努めるように説いています。

3.生物学から見た人の特性

かくも難しい心をもった人間とはどのような生き物なのか、現代の生物学の視点から書かれた本を読む機会がありましたので参考になるかと思い紹介します。池田清彦著「人間、このタガの外れた生き物」(ベスト新書 2013)から抜粋します。

* 戦争する生物

・殺し合いをする動物はというのは、人間以外はほとんどいない。人間が一番そういうことをする。おそらく他の高等霊長類とか、高等動物は戦争しない。社会性のある昆虫のアリなどは、かなり激しいバトルをして、他種の巣を全滅させたりする。それはあるけど、それ以外はあんまりない。

*世界中に拡散した人間という種

・ずっとアフリカに留まっていたホモ・エレクトゥスからホモ・サピエンスが進化するホモ・サピエンスは本当に今から20万年よりはさかのぼらない。たぶん16万年とか1万年ぐらいだろうと言われている。ものすごく新しい生物なのだ。アフリカにいたホモ・サピエンスは本当に小さな集団だったと思う。それが、比較的すぐに、10万年ぐらいになると、もうアフリカから出てくる。ヨーロッパに行き、アジアに行き、オーストラリアに行ったのは、たぶん今から5万年とか6万年ぐらい前だと言われている。

*人間は自然破壊をする動物である

・我々人類は生物の多様性を減少させているとか言うけれど、人間が生物の多様性を減少させるというのは今に始まったことではなくて、人間がアフリカを出てからずっとそうだということだ。人間が新しく侵入した所では、高等な動物はかなり絶滅させられている。

・マンモスにしても基本的に人間に滅ぼされたのだと思う。マンモスも今から1万年ちょっと前まで生きていた。氷河期の最後は餌がないから、マンモスは人間に狩られてしまった。・・・そんなふうに、人間はきわめて侵略的な動物なのだ。

*遺伝的変化は低いが、行動的変化は高い

・みんなが思っているほど、人と人との間の遺伝的な差異は大きくない。人間、誰しも似たようなものだといえば似たようなものだ。いろいろな違いがあるのは、人間の場合は遺伝子だけでは行動が決まらないからだ。脳が大きくなって、脳の可変性というか、フレキシビリティがすごく高いので、同じ遺伝子的な組成は持っていても、違うことをいくらでもする。他の動物は頭の中でいろいろなことができるという後天的な幅が狭いから、遺伝的に似ていると、もう同じことしかしない。

・脳の発生はかなり後天的に決まるので、人間の場合は遺伝的な組成が小さくても、文化は多様だし、行動パターンの多様になった。いろいろな文化や行動パターンだけでなくて、何を考えているかということも、かなり多様である。

4.パスカルの観察した人間の特性

私たちは、自分だけは災害や事件に遭わないと楽観していて、いずれ必ず襲ってくる死という現実に目を背けての日暮をし、目の前に死が迫った時に、慌てふためく生活です。未曾有の震災が有ったのに、その教訓はかなり薄らいでいます。また人間は、何もしないでじっとしている生活には耐えられないので、何かしらすることを見つけて動き回っています。好きが高じて野球やゴルフ、囲碁や将棋に人生を託す人や、忙しく働きづめで過ごしてきた人などさまざまです。 会社を退職して、自由な時間ができたのに何をするか迷う人もいれば、これから人生を楽しもうとしたが、思い半ばで病に倒れる人もいます。このような現代のわたしたちに、当てはまるパスカルの言葉に出合いました。

パスカルと言えば「人間は一本の考える葦にすぎない」という名言が知られています。それがパスカルの「パンセ」(思索)という本にでてくる言葉であると知っている人も多くいると思いますが、私は最近になって「パンセ」に出会いその思索の深さに感動しました。パスカルは1623年フランスに生まれた科学者であり、哲学者でもある天才ですが、39歳の若さで病死しています。「キリスト教護教論」を書くために書き溜めていた草稿が死後発見され、関係者により整理し、纏められたのが代表作「パンセ」とのことです。300年以上前のフランス社会とキリスト教がベースになっているが、当時の人々の生き方を洞察して、人間の本質を突いた深い思索をしています。鹿島茂編訳「パスカル パンセ抄」(飛島新社)から引用します。

*何かしないではいられない人間の性

・わたしは、人間のさまざまな行動や、人が宮廷や戦場で身をさらす危険や苦しみのことを考えて、かくも多くの争いや情念、大胆で、時に邪悪なものにさえなる企てはいったいどこからうまれるのかと考察を巡らしたとき、人間のあらゆる不幸はたった一つのことから来ているという事実を発見してしまった。人は部屋の中にじっとしたままではいられないということだ。もし、生きるための十分な資産を持っている人が自分の家に喜んでいられたなら、その人はわざわざ大航海に出かけたり、要塞攻略に出撃したりすることはなかったろう。軍職をあれほど高い金を払ってまで手を入れるのも、町の中で動かずにいることに堪えられないからだ。会話や賭事などの気晴らしに耽るのも、自宅にじっとしていられないからにすぎない。 ところが、わたしたちの不幸の原因を発見したあとで、さらに一歩踏み込んで考察を巡らし、なぜそれが不幸の原因となるのか、その理由を発見しようと努めたところ、非常に説得力のある理由を見出した。それはわたしたちの宿命、すなわち、弱く、死を運命づけられた人間の条件に固有の不幸にあるのだ。それは、さらによく考えれば、慰めとなるようなものがまったくないほどに惨めな状態なのである。(断章139)

・彼らは考える。もし、あの地位を得ることができたなら、そのあとは喜んで休息を取ることにしよう、と。彼らは知らないのだ、自分の欲望がどれほど貪婪(どんらん)な性質をもっているかを。だから、自分は心の底から休息を欲していると思い込んでいるのだが、実際に求めているのは、興奮することなのだ。(断章139)

断章139では、人は危険な冒険をしたり、領土争いの戦争をしたり、あくことない欲望で、高い地位や名誉を得るためのさまざまな行動をするのは、現状に満足できず、たえず興奮を求めて、何かをしていないと不安であり、落ち着かないことが原因である。なぜ部屋にじっとしていられないかは、人の存在は弱く、死が運命づけられていて、その不安を慰めるようなものがまったくないほど惨めな存在であるので、その不安から逃れるために、さまざまな行動を起こしてしまう。このことがあらゆる人間の不幸を引き起こす原因であると。

*なにもしない状態ほど耐え難い

・人間にとって、完全な休息の中にいながら、情念もなく、仕事もなく、気晴らしもなく、神経を集中させることもない状態ほど耐え難いことはない。そのような状態にあると、人は虚無を感じ、自分が見捨てられ、不十分で、他に従属しており、無力で、空っぽであることを自覚してしまう。そして、たちまちにして、魂の奥底から、倦怠が、暗黒が、悲しみが、傷心が、怨恨が、絶望が沸きでてくるのである。(断章131)

断章131から見えてくる現代人の病状は、最近の無差別の通り魔殺人や殺傷事件などの犯人に現れているように思います。社会がグローバル化して、日本から海外に工場を移し、企業として収益を上げるのは良いが、国内の若年労働者の労働環境が悪くなり、派遣切りや日雇いなどで、先の見えない若者が増えています。そのような状態に置かれている彼らの心の闇を見る思いがします。フェースブックやツイッタ―などのインターネットで繋がると、見かけは多くの仲間がいるように見えますが、顔と顔を合わせてのコミュケーションがない社会の中では孤立してしまう。そして、虚無を感じ、無力で、役に立たない自分を自覚すると、他者への恨みと、絶望が心を支配して、誰かれかまわず凶器を振るう無差別な暴力行為にはしるようになるのだと感じます。

*気晴らしの人生

・私たちのみじめさを慰撫(いぶ)してくれるただ一つのものは気晴らしである。ところが、まさにこれこそがわたしたちのみじめさの最たるものなのである。なぜなら、気晴らしをしていると、わたしたちは自分のことを考えないですみ、気がつかないうちに自分をだめにしてしまうからだ。気晴らしというものがなければ、わたしたちは倦怠(けんたい)に陥るだろうが、その倦怠はわたしたちをして、そこから抜けだす最も確かな方法を模索させるはずだからである、それなのに、気晴らしをしていると、わたしたちは楽しいために、気がついたときにはもう死がそこまで来ているのである。(断章171) 

断章171から、人間は、避けることのできない死(病死もあれば事故死もある)があることを知って、そのことを考える苦痛から逃れ、先延ばしする自分のみじめさを紛らわすために、気晴らしをしていると言っている。毎日楽しく日暮をしていると、気が付いたときには死が目の前に迫って慌てふためくことになります。人間以外の動物は将来の死を思い煩うことはないので、ある意味では幸せです。しかし、まだ来ない未来を思い悩むのは、考える葦である人間の宿命です。人間のしていることは自己の本質を探求すべきことを避けて、目先の欲望をみたすための行動ばかりしている。それはすべて、気晴らしにすぎないと言っています。

*幸福になる準備ばかりしている

・わたしたちは現在についてはほとんど考えることをしない。考えるとすれば、そこから光を取りだして未来を照らすためである。現在はけっしてわたしたちの目的とはなりえない。過去と現在はわたしたちの手段である。唯一、未来だけがわたしたちに目的である。このように、わたしたちは現在をいきているのではけっしてなく、将来を生きることを希望しているだけなのだ。そして、いつもいつも幸福になる準備ばかりしているので、現に幸福になることなどできはしないのもまた必然なのである。(断章172)

断章172は、わたしたちは、現在をしっかりと見据えることをしないで生きています。将来のことばかり考え、くるかどうかわからない幸福を期待して、夢を追いかけているわたしたちの在り方を指摘しています。生きているという現実は「今・ここ」にしかないことを認識すべきです。過去は過ぎさっていまここにはなく、未来はまだ来ていないし来る保証もないことを知るべきです。

パスカルは、人は静かに部屋の中で休息して、くつろぐことができないことに、あらゆる不幸の原因があると言っています。キリスト教では、このような心の働きに対して、どのような教えをしているか、ここでは言及していません。

仏教では、われわれ凡夫の煩悩まみれの心の働きについては、唯識などに詳しい教えがあります。また、静かな部屋の中でくつろぐことのできる修行(坐禅)も教えています。限りない欲望を制御して、自己を確立せよと説いています。気晴らしの活動も、心のもち方を変えるだけで、修行に繋がります。

5.このような見方ができる聖書

ほっておいたら何をするか分からない人間、それを制御するために作られたのが聖書であるとの見方があります。山本七平著「日本教の社会学」(学研 1985)の中に、なるほどと頷ける記述を見つけましたので参考として示します。山本七平と小室直樹の対話の中で、小室が述べている言葉です。

*不自然きわまりのない契約が聖書

・ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の考え方からすれば、宗教というのはまず不自然であるべきなんですね。自然のままでいいなんていっていたら宗教なんて出てきっこない。聖書は裏返して読めば不聖書なのであって、人間は自然のままほうっておいたらどんなに悪いことをする動物であるか、その例示で全巻が構成されていると言っても過言ではない。

・それを制御するのが神との契約なのですが、これも自然のなりゆきにまかせおけば、人間は絶対に神との契約を守らない。そこで、神は預言者をつかわして警告し、もし神との契約が守られないのであれば、ユダヤの民を罰し、亡ぼそうとさえする。つまり、自然に価値があるのではなしに、神が作為的にきめた不自然きわまりのない契約にのみ価値がある。

聖書とは神と人との契約の書であり、人は悪いことをする動物で、勝手気ままな行動をさせないために神に縛りつけるための契約書との見方は頷けるものがあります。生物学から見た、人間の特性を、旧約聖書の時代に生きていた、砂漠の民の先人達は、的確にその本質を見抜いていたように思いましたが、考え過ぎでしょうか。人間とは生物学的な視点で見ると戦争する生物で、あっという間に世界中に拡散し、行く先々で自然破壊をしている動物であると考えられています。残念ながら、現在の世界状況を見ると、指導者の資質が影響していると思える国際的な紛争が多くあります。また、聖書に由来する宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に於いては、宗派間に激しい対立があり、中東紛争の一因でもあります。

人間の特性は、なんとも厄介なものです。多くの人が幸福になるのを願っていても、人が自然界の秩序を破壊したことで、コロナウイルスの攻撃を受けパニックになっています。また、ITの発展に対してもウイルスを作り、情報通信網の破壊工作する悪質な人間が発生します。心の底に渦巻く、金銭欲や名誉欲、権力欲などの強い欲望がある限り、この地上から紛争が絶えることはないと思えます

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