生きるとは何か - No.21-4

忘れてはいけない大切なこと

2021年4月1日発行

10年後に思う

何事も時間が経過すると記憶が薄れて忘れ去られていくことは日常経験することです。
しかし、節目節目に記憶を戻し、再確認する大切なことがあります。
それは2011年3月11日に起きた東日本大震災の記憶です。今年で10年の節目を迎えました。3月になると当時の生々しい映像がTVで放映され、その後の復旧の状況が伝えられています。この災害では二つの大きなできごとがあります。

一つは巨大津波による東北沿岸部の壊滅的な被害で多くの死者がでました。現在でも行方不明者が2千人以上います。

もう一つは近代科学の粋とも言われた原子力発電所の原子炉の炉心溶融(メルトダウン)とそれに伴う放射性物質の広範にわたる飛散です。そのために、今でも多くの帰宅困難者がいて、福島県では3万人以上の人々が、故郷に帰ることも出来ていません。

巨大津波による沿岸部の自然災害は時間が経過すると、長くても数十年で復旧が可能です。災害大国日本は有史以来多くの地震や台風など甚大な被害が発生していますが、力強く復旧しています。

しかし、原子力発電所の炉心溶融による放射能災害は、世代を超えて存続する未曾有の災害なのです。今現在でも、発電所敷地内に溜まり続ける処理冷却水タンクと毎日4000人と言われる廃炉作業者の汚染衣類や撤去処理された廃材などの低放射性物質すら恒久的な対応ができない状況が続いています。このことはこれから始まる本格的な廃炉作業の前段階です。さらに、炉底に堆積している880トンと予測されている高濃度放射性デブリの状況確認もこれからです。10年経っても終点が見通せない状況です。

今回の原発事故は人災であり、起こるべくして起こった炉心崩壊です。そこには原子力の安全神話によって、原子力事故は起こらないと思い込みをし、重大事故を想定した訓練もしていなかったたことに原因があります。

今こそ再考する時がきた

原子力の平和利用と言って、それは人類が生みだした最大最悪の殺人兵器であるの原子爆弾に対する罪悪感を和らげるために、核兵器を作り保持する国の科学者や為政者が考えたまやかしでしかないと思います。原子力発電は厳格に管理されていて、安全で、効率の良い、経済的な電力供給ができる最新の設備ですと言われて、多くの人が信じていました。

しかし、冷静に考えてみてください、原子力発電所は長くても50年位で寿命が来ます。その間に作り出された放射性物質や廃棄物は数百年経っても消えることなく、放射能を出し続けることになるのです。この狭い日本に既に50基以上の原子力発電所があり、多くの発電所は建設から20年、30年と経過しています。今後、50年以内に全ての原子力発電所は廃炉作業に入るのです。この放射性廃棄物処理はひ孫の世代に引き継がれることになります。

私たちは地球温暖化という環境問題に直面して、石炭や石油の火力発電は環境温暖化の原因物質である二酸化炭素の放出量が多いために、その代替である原子力発電所を再稼働する話が出始めています。目先の二酸化炭素の排出量が少ないという経済効率化の原理だけで動き出しています。一時しのぎでなく長い目で将来を展望しての技術開発が求められているのです。

今日の状況は予見されていた

最近、経済学者であるE.F.シューマッハーが1973年に著した「スモール イズ ビューティフル、人間中心の経済学」(小島慶三、酒井懋訳、講談社学術文庫、2021年、第50刷))の本を知りました。その本の第四章に「原子力―救いか呪いか」に将来のエネルギー問題(原子力)についての卓見が論じられています。非常に考えさせられます。少し引用します。( )内は追記しました。

・六年前(1965年)に私が提起した議論の筋道は、次のようなものであった。

人間が、自然界に加えた変化の中で、もっとも危険で深刻なものは、大規模な原子核分裂である。核分裂の結果、電離放射能が環境汚染のきわめて重大な原因となり、人類の生存を脅かすことになった。一般の人たちが原子爆弾のほうに注意を奪われるのはうなずけるが、それが将来二度と使われないという希望はまだ持てる。ところが、いわゆる原子力の平和利用が人類に及ぼす危険のほうが、はるかに大きいかもしれないのである。今日の経済性最優先のこれ以上明白な例はあるまい。石炭か石油を使う在来型の発電所を建設するか、それとも原子力発電所を作るかの選択は経済的根拠にもとづいて行われており、…

核分裂というものが、人間の生命にとって想像を絶する類例のない特殊な危険だとういことが、まったく考慮されておらず、口の端にのぼったことすらないのである。
権威のある人たちの警告がないわけではない。アルファ線、ベータ線、ガンマ線が生体の組織に与える影響はよく知られている。放射性粒子は弾丸のように組織を破って侵入し、損傷の度合いはおもにその量と組織の細胞いかんによって決まる。(178頁)

・新しい「次元」の危険のもう一つの意味は、今日人類には放射性物質を造る力があるのだが―現にまだ造ってもいる―いったん造ったが最後、その放射能を減らすてだてがまったくないということである。放射能に対しては、化学反応も物理的操作も無効で、ただ時の経過しかその力を弱めることができない。… ストロンチウム90の半減期は28年である。だが、半減期の長さがどうであれ、放射能は半永久的に残るわけで、放射能物質を安全な場所に移す以外に施すすべがない。それにしても、原子炉から出る大量の放射性廃棄物の安全な捨て場所とは、いったいどこであろうか。地球上に安全といえる場所はない。(179頁)

・いちばん大きい廃棄物といえば、いうまでもなく、耐用期間を過ぎた原子炉である。…人間にとって死活の重要性をもつ問題はだれも論じていない。その問題とは、原子炉が壊すことも動かすこともできず、そのまま、たぶん何百年もの間、あるいは何千年の間放置しておかなければならないこと、そしてこれは音もなく空気と水と土壌の中に放射能を洩らし続け、あらゆる生物に脅威を与えるということである。(180頁)

E.F.シューマッハーは80年前に原子力の本質についての見解を発表して注意を喚起していますが、当時は異端な議論として見られていました。現在、日本の原子力の置かれた状況(危険性)を考えると正鵠をえた議論です。では他国における原子力発電所の事故をどこまで真剣に検討して取り込んできたか調べて見ると、十分に反映されていないことが分かります。

過去の原子力発電所事故

過去の原子力発電所の大きな事故は2件あります。

一つは1979年の米国スリーマイル島原発事故でした。
どのような状況なのか福井県原子力センターの一般向け原子力館(www.athome.tsuruga.fukui.jp )での説明文を引用します。

昭和54年3月米国のスリーマイル島原子力発電所で、放射性物質が放出され、近くの住民の一部が避難するという事故が発生しました。この事故は、二次冷却水を循環させる主給水ポンプが停止したことが発端となって起こりました。そして①補助給水弁を閉じたまま行ったこと②加圧器逃し弁が開いたままになっていたこと③炉心冷却装置を運転員が停止したり、流水を絞ったりしたことなど、運転員の誤動作や保安管理ミスが重なり、これまでに経験したことのない事故に発展しました。……

わが国の原子力発電所の安全保安対策に反映すべき52項目を摘出しました。これらの項目は、基準、審査、設計および運転管理に関して順次取り入れられ、原子力発電所の安全性の一層の向上が図られました。

すべての項目は取り入れて安全性は一層向上しました、と言われればそうですかと信じるしかありません。
確実に実施されていればの話ですが。

2つ目は1986年のチェルノブイリ原発事故です。

スリーマイル島原発との違いについて東京電力の福島第一原子力発電所の事故とこれからについて伝えている広報サイト(www.tepco.co.jp)がありましたのでそこから引用します。

・チェルノブイリ4号機事故は、原子炉の設計上の特徴と誤った運転操作により核分裂反応を制御できない状況となり、定格出力より非常に大きな出力状態となり、原子炉が破損した事故です。原子炉から放出された放射性物質を閉じこめる格納容器がなかったこともあり、燃料の破片等も含め外部に放射性物質が大量に放出されました。
スリーマイル島2号機事故は、トラブルにより原子炉を冷やすための水が流失し、また、運転員の水位計指示値の誤認識により注水がなされなかったため、崩壊熱を冷却できなくなり、燃料が空焚きになり高温し破損・溶融した事故となりました。…

福島第一原発の事故について

事故の実態を知るために、NHKでまとめた原発特設サイト(www3.nhk.or.jp)の項目に「原発事故10年、事故はなぜ深刻化したか(1)一号機の実体」があり,そこから少し引用します。

・電源を失った福島第一原発。

最初にメルトダウンを起こし、水素爆発にいたったのは1号機でした。1号機をめぐっては緊急時の設備への理解不足が対応の遅れにつながった理由のひとつと指摘されています。まずは非常用の冷却装置の扱いでした。「非常用復水器」、通称「イソコン」と呼ばれるものです。イソコンは、トラブルなどで原子炉の圧力が高まったときに使われ、電源も必要ありません。配管の弁さえ開いていれば、原子炉からの高温の蒸気がイソコンのタンクに流れタンクの冷却水によって冷やされ原子炉に戻ってくる仕組みで、1号機にとって重要な冷却手段でした。
 1号機は、2011年3月11日の午後2時46分に起きた地震の揺れで原子炉が緊急停止し、そのあと、イソコンが自動で起動したことがわかっています。
東京電力が2013年にまとめた事故総括では、当時、多くの人がイソコンの機能の細部まで把握していなかったことは分かっています。また、政府の事故調査・検証委員会によると、1号機の運転操作を担った当直の運転員たちは、誰一人、イソコンを実際に作動させた経験はなかったということです。
 原子炉が冷却できていると対策本部が誤認していた背景には、別の装置の誤動作も影響していました。原子炉の中にどれだけ水が入っているかを示す水位計です。事故が進展していく中で、核燃料よりも高い位置まで水が入っているという誤った数値を示していたのです。

まだまだ、多くの記事がありますが、興味のある方は原発特設サイトを見て下さい。

スリーマイル島原発の記事に「運転員の水位計指示値の誤認により注水がなされなかった」とあります。福島第一原発でも1号機で水位計指示値の誤認があり、事故の拡大につながっています。この教訓がまったく生かされていなかったことが分かります。スリーマイル島原発もチェルノブイリ原発も福島第一原発も共通しているのは、誤った運転操作が事故を拡大させ、最終的には炉心溶融に至っています。

仮定のたら・ればの話になりますが、42年前のスリーマイル島原発事故から真剣に学び、緊急事態の実践的訓練が定期的になされ、原子炉運転員に徹底していたら、福島の原発事故もここまでに至らなかったと思われます。現在、運転中の原発や休止中の原発でも、最悪シナリオを想定して、実践的訓練をやるべきです。経済優先で先延ばしすることは許されない状況です。

スリーマイル島原発事故のその後の対応について、米国での詳細な経過が「スリーマイル島原子力発電所事故:復旧・クリーンアップ、教訓および今後」(レイク・バレット、Lake@Lbarrett.com)として記録(2014年7月)されている資料がありました。そこには多くの写真を使用して廃炉作業の困難さがわかりやすく解説されています。一度覗いて見る価値があります。広い米国では放射性廃棄物は広大な砂漠の中に貯蔵設備があります。しかし、国土の狭い、巨大地震が多い日本では安全な場所があるのでしょうか。

原子炉の廃炉作業や放射性廃棄物の処理は、一企業の手に負えるものではない大きさです、国家プロジェクトとして、技術開発と人材育成を強力進めることが、今後の日本に課せられた課題のように思いました。

10年経って振り返ると、この現実は忘れてはならない大切なことです。事故当時はハラハラして事故の推移をながめていましたが、今思うと背筋が寒くなります。

E.F.シューマッハーの4章のまとめに次のような記載があります。

・人類は、廃棄物処理には解決策がないことに気づくよりも先に、原子力に運命を委ねてしまったのではないかという懸念が強い。委ねてしまったとすれば、放射能の危険を無視し、建設ずみの原子炉を使用するように強い政治的圧力がかつてくるだろう。廃棄物処理の問題が解決されるまで、原子力計画の進行速度を落とすことこそが慎重な態度である。…

人間による経済活動は限りなく富の拡大を求め、結果として、貧富の格差や地球温暖化をもたらしています。原子力発電は一時的な富を生み出すが、終わりのない課題を残し、原子力兵器は恐怖といがみ合いだけを生み出しています。立ち止まって再考する時です。

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