生きるとは何か - No.21-11

誰にも先祖はいる

2021年11月1日発行

何をあたり前なことを言っているのだ。少しボケてきたのかと思われるかもしれませんが、先祖のこと真剣に考えたことはありますか。今、現在に生きている私たちには両親がいて、またその両親がいると何代か前のご先祖様までは辿れます。私などは祖父母までは何とか記憶していますが、その先となると正確には思いだせません。

普段の生活では、仏壇にある先祖代々の位牌に手を合わせ、両親がいたから今の私がいると思いを馳せる位です。先祖と言っても、父方と母方にそれぞれ両親がいるので4人になり、その先は8人と倍々に増えていきますから、10世代前に遡れば1000人を超えます。すごい広がりがあり、どのような人たちが先祖にいたかは計り知れません。しかし、最新の遺伝子学では、その痕跡が残されていることが知られています。

日本の古代史に渡来人の痕跡を見る

最近、巡りあった本の中に、古墳時代にユダヤ人が渡来していた痕跡が人物埴輪に残されている事実を知って、非常に興味を覚えました。その本は、田中英道著「発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く」(勉誠出版、2019年)です。本の裏表紙にある写真1を見て驚きました。上は埴輪、下は伝統的なユダヤ人の服装です、これを見れば一目瞭然です。

       
写真1    埴輪とユダヤ人

この埴輪のある古墳は千葉県芝山町にある芝山古墳です。是非、この目で確かめたいと思い10月14日に現地に行ってきました。田中祀捷先生にこの話を出したところ、同行するとのことで一緒に芝山古墳・はにわ博物館を見学してきました。

芝山古墳・はにわ博物館の見学記

東京駅8時11分発の成田空港行きに乗車、JR成田駅9時24分着、徒歩6分の京成成田駅で、9時52分の芝山鉄道に乗り換え二駅で終点の芝山千代田駅に着く。そこは成田空港のバックヤードで周辺は空港関係のビル群、駅前にコンビニなどの売店は無し、ロータリーには町のシンボルの大きな馬の埴輪(写真2)が出迎え、町が運営している「芝山ふれあいバス」の停留所があるだけです。待つこと30分でマイクロバス到着、10時32分発のバスには我々2名だけが乗車、初秋風景のなかの曲がりくねった田舎道を24分で最寄りのバス停仁王尊前に到着です。

        

        写真2 芝山千代田駅とロータリーの馬の埴輪

          

        写真3 仁王尊経由芝山古墳への道

バス停から田舎道(写真3)を進むと、まもなく芝山仁王尊・観音教寺に至り、境内に沿って歩くこと10分で芝山公園に着く。そこには人物埴輪が並べられた小さな古墳(見学用か?)(写真4)があり、内部も覗き一回りしてから、はにわ博物館を見学する。

       

         写真4 配列した埴輪と古墳

はにわ博物館には地域の古墳群から発掘された多くの埴輪が展示されている。特に姫塚古墳からの出土した埴輪(写真5)が圧巻です。

   

     写真5 姫塚古墳から出土した埴輪(博物館のパンフレットより)

完全な形で復元されたユダヤ人埴輪が何体もあります。これを見て写真1で示したユダヤ人の特徴的な姿と酷似しているとことが分かりました。田中英道氏は本の中で次のように述べています。

芝山古墳から出土した「芝山はにわ」の人物埴輪を見てみましょう。美豆良(みずら)は、帽子と顎髭(あごひげ)との三点セットであることがわかるはずです。ここに重要なポイントがあります。鍔(がく)付の帽と顎鬚、そして美豆良という頭部の様子は、世界の衣装史を見れば明らかなとうり、当然、ユダヤ人の姿かたちを思い起こすはずです。

ユダヤ人の姿かたちは、歴史的なもので、伝統的なものです。そして美豆良は、古代のユダヤ教徒の独特の髪型である。耳の前の毛を伸ばしてカールさせる「ペイオト」ときわめてよく似ています。… 人物埴輪は、一様に鼻が三角状で高く、また武器を持っているものも多いのです。いかにも大陸のなかから来た存在であり、朝鮮や中国人風ではないのです。(54~56頁)

田中氏は美術史家であるので、絵や彫刻や像や建築など、もののかたちを見て、そこから様々なことを読み解く専門家とのことです。世界の衣装史を熟知している方から見れば、この埴輪はユダヤ人であると明瞭に認識できたのでしょう。半世紀ほど西洋と日本の美術史研究をして、2010年代からは日本の古代史研究に関する多くの著作をしています。博物館の展示のなかで、中央の壁面に素晴らしい言葉が綴られていましたので、その一部を記載します。

  人は、生命を受け継いでいる。
  ひとりが死に、ひとりが生まれ
  何万年の昔から、その生命をつないできたのだ。
  親から子へ、子からその孫へ
    ・・・
  やがて先祖たちは
  人々を統率するに秀でた人間に導かれ
  自然に学び、自然を利用して
  いっそう繫栄する術を身につけていった。
   ・・・
  リーダーたる首長は
  絶対の霊力を先祖から受け継ぎ
  神々に近い存在として、クニを率い
  人々は、それに従い、敬った。

  やがて、その霊力が弱まり
  肉体から離れ、死んだように見えても
  その霊は、新たな首長のなかで、よみがえり
  この地にとどまり、人々と、このクニを守り続ける。

古墳と埴輪はその証のひとつである。

古墳と埴輪の関係が語られていますが、今、ここに生きている私たちの人生も、古代から引き継がれていることを悟らせくれるような文章です。

博物館を1時間ほど見学して、隣接する仁王尊を散策する。立派な伽藍配置(写真6)ですが、参拝者はなく、閑散としていました。土・日・祝日のみ祈願受付との張り紙あり。しかし、境内の桜の木々は春になると、さぞ美しい景観を演出するだろうと思いました。

写真6   本堂          三重塔

帰りのバスは仁王尊前14時10分で、これを逃すと次は17時02分となるので余裕をもってバス停に戻る。京成成田15時01分着、成田山表参道で遅い昼食(うな重)を食べる。以上、簡単な芝山古墳の見学記です。参考ですが、「芝山ふれあいバス」は日曜は運行していません。とにかく、車を運転していかないと不便なところです。 ユダヤ人埴輪であるとわかると、古代史も面白くなります。田中英道氏が述べています。

・これら人物埴輪がユダヤ人像であることが認定されると、さまざまなことがわかってきます。同時に、彼らはなぜ日本にまでやってきたのか、という疑問が生じます。重要なのは、秦氏と呼ばれる氏族との関係です。秦氏は、キリスト教ネストリウス派であり、大陸からやって来て日本に帰化した氏族として知られています。(58頁)
日本には、非常に豊かな労働力と自然が恵むさまざまな物資がありました。日本にやってきた大陸系の人々は、それを存分に使うことができました。… そうした、いわゆる「富」の存在なくして、古墳時代の、たくさんの墳墓は考えられません。… 巨大な墳墓を大量につくることができたのは、富の余裕があったからです。技術力を含め、富をつくりだしたことにも、秦氏あるいはユダヤ人たちの大きな役割がありました。
 ユダヤ人的人物埴輪は、日本の歴史を書き換える、新たな、そして大きな証拠となるだろうと私は考えています。(172頁)

あくまで、田中英道氏の考えですが、これからの展開が期待されます。私の古代史に至る先祖探求の旅は、ここから始まりです。いずれご報告いたします。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

コメントを残す

*