生きるとは何か - No.22-3

自然を畏敬する心(神道について)

2022年3月1日発行

季節の節目には、子供の成長を願い、ひな祭りや端午の節句、七夕や山車を引き神輿を担ぐ夏祭りなどの諸行事はすべて神社が役割を担っています。日本の文化的な行事の精神的な支柱は神道で、よろずの神々を敬う心は日本人の基底に流れていると思われます。

神田明神について考える

私事ですが、神田明神の直ぐ前にある東方学院の講義に出席するときに、神社の大きな鳥居をくぐりますが、鳥居の前で、若い男性や女性が立ち止まり一礼をしているのをしばしば見かけます。その方達は神社に対する崇敬の念を持っているのでしょう。

仏教を学んで知ったブッダの言葉からは、何事も疑って確認し、言われたから従うのでなく、納得して行動することを学びました。特に、技術畑の仕事をしていたので、新たなものごとに出会って興味を惹かれると、その意味を探る癖がついていしたので、尊い神社であるから誰でも敬う気持ちが起こるのですと言われても、素直に頭が下がらない自分がいます。
そこで、神田明神はどんな神様を祀っているのかインターネットで調べて見ました。

写真1 神田明神

正式名称は神田神社、東京の中心の108町会の氏神様で、神田明神として親しまれているとのことです。神田明神の歴史から一部を記載します。

・当社は天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。

慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

かなり古い歴史があり、歴代の武将や将軍が縁起の良い神様として庇護をして今に至っています。特に神田祭りは江戸の伝統・日本三大祭りとして江戸文化を継承しているとの誇りを持って祭礼を行っています。祀る神さまはだれか見てみますと。

・御祭神は三神あり、

一之宮:だいこく様[大己貴命(おおなむちのみこと)]

二之宮:えびす様 [少彦名命(すくなひこなのみこと)]

三之宮:まさかど様[平将門命(たいらのまさかどのみこと)]

それぞれ、縁結びの神様、商売繫盛の神様、除災厄除けの神様として祀っています。


写真2 神田祭特別サイトより壁紙をダウンロード、
行事のいろいろな場面がはめ込まれています。

多くの民衆が信仰している神社で、いろいろの職種の人が願をかけてお参りし、心の安心を得ていることが伺えます。神田明神は商売繁盛などのご利益を謳っているので、朱や金色の極彩色で気持ちが盛り上がる建築美です。種々な行事も、江戸文化を継承していることが伺えます。

一方、身近にある多くの氏神様は清楚な佇まいで、精神性を感じ柏手を打って参拝をします。どの様な神様が祭られているかほとんど知られていませんが、昔からの習わしとして、伝統が引き継がれ、慣習的に参拝している光景があります。人の心にある漠然とした神様を敬う心情は伝統で培われていると思われます。

理屈で解決できない深み

神田明神を表面的な現象だけ見ると、どんな意味があるのかと切り捨ててしまう危険があります。神田祭などは多くの人が賛同し、巨大なエネルギーを生み出しています。理屈は今持っている知識で理解できる範囲の説明であり、表面的な納得です。私が関係していた技術開発などの物理的現象は現代の科学的な知識で多くは解決できました。しかし、人の心の深みには、たどり着けるものではないことを再認識する必要を感じました。人は生きていると、心は苦しみ・怒り・憎しみ・悲しみ・幸福感などの種々な感情を生み出しますが、科学的な知識では解決できない問題です。神や仏と言われる領域は全く理解できるものではなく、十分の時間をかけて学ぶべきものであると思います。

古代から存在する春日大社

奈良に行くとしばしば春日大社を訪れていました。春日山を御神体とした優美で心静まる神社の雰囲気が良くて好みの場所でした。今回、インターネットで春日大社のHPにアクセスし調べてみました。「春日大社のはじまり」のところで次のように紹介しています。

・神山である御蓋山(みかさやま)(春日山)の麓に、奈良時代の神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命により武甕槌命(たけみかずちのみこと)経津主命(ふつぬしのみこと)天児屋根命(あめのこやねのみこと)様、比売神(ひめがみ)の御本殿が造営されました。現在、国家・国民の平和と繁栄を祈る祭が年間2200回以上斎行されています。
その中でも1200年以上続く3月13日の「春日祭」は、現在も宮中より天皇の御代理である勅使が参向され、国家・国民の安泰を祈る御祭文を奏上されます。さらに、上旬・中旬・下旬の語源に関わる宮中の「旬祭」、上巳・端午・七夕などの「節供祭」も平安時代に移され、今に至るまで斎行されています。

1200年以上前から古事記に記載されている神々を祀り、国家、国民のために祈りが奉げられている事実には驚きがあります。御神体として迎い入れた武甕槌命は鹿島神宮の神様であり、経津主命は香取神宮の神様で鹿島地区から迎い入れたと記されています。

鹿島神宮の起源は神宮の古文書(鎌倉時代)によると、神武天皇の即位の元年に武甕槌命のご神恩に感謝して勅使を派遣し、鹿島の地に鹿島神宮を勅祭したと伝えられています。全ては、日本書紀や古事記の神話の時代のできごとで、神武天皇(皇紀でBC600~585年)は最初に即位した初代天皇です。

春日大社の綺麗な朱色は20年に一度、社殿を美しくする「式年造替」をしていてこれまでに60回を超えるのは「伊勢神宮」と「春日大社」だけと記さています。

 写真3 美しい朱色の鳥居

古事記などに記録された神話は現代の人から見ると古代人の空想世界の話として真剣に向き合うことがないと思います。古代では、今のように宇宙に関する科学的知識はなくても大自然のなかに身を置いて、研ぎ澄まされた感覚で自然と対話することで、奥深い不思議さを感じ取れたのではないでしょうか。彼らよりさらに昔、2600年前には仏陀はこの世に存在することの真理を発見しています

 現代的な神社(神道)解釈

葉室頼明氏は大阪大学医学部を卒業し外科医として開業医をしていたが、神職階位を取得して平成8年に春日大社の宮司になられた方です。氏の書かれた本「神道と<ひらめき>」(春秋社、2006年)には、科学的な視点で神道の根本が書かれています。

本の表帯には<生きる原点>を求めて!宇宙と地球と生命の誕生の謎とは。人間の真実のあり方とは、日本人の本当の生き方とは何か。と記載されています。また、帯の裏側には一部省略しますが…現在の乱れた日本の国をみていると、つくづく宇宙の、そして世の中の原点を、人々は見失っているということがよくわかります。… どうして地球の水の中に生物が誕生し、人間ができてきたのか。…この世の中の、そして宇宙の全ての原点についてお話し、書いていこうとおもいます。…

以前、この本を読んで私の思考していた方向と共通しているので、力を得た思いがありました。内容を詳しく説明する紙面がありませんので、本文から参考になる言葉を幾つか紹介します。

  ムスビの力
・最初に宇宙に現れてきたのは、ムスビ(結び)の力というモノとモノを結びつける、素晴らしい力を持った知恵があらわれました。これを科学的には中間子といい、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞したことで知られています。このムスビの力というのは波動ですから、もちろん目には見えませんが、これによって宇宙のすべてのものが形つくられていくのです。… 見えないものの存在を、見える現象として、現実に形づくるという素晴らしい力を表現した言葉であり、このムスビの力には摩訶不思議な働きがあるのです。(19頁)

日本人とムスビの神
日本人の祖先はこのすべてのものを形づくる宇宙の働きを、理屈ではなく肌で知っていて、これを神さまとして尊び、それに順応する生活をしてきたのです。…ところで、「むすぶ」を漢字で「結」と書きますが、これを「ゆう」とも読みます。… 日本人は古来から夕方を非常に神秘的なものと考えて、夕日を素晴らしく美しいものとして拝みます。日本語の原点である大和言葉では、この夕も、先ほどの結と同じ意味であり、夕方の「夕」は、昼から夜へ結ぶ姿をあらわしているのです。… このようにして日本人の先祖は、昼を夜の世界に形つくっていく夕方に神のムスビの力を見て、夕日を拝んでいたのではないかと思います。(69頁)


  神秘な知恵のはたらき
なにごとも目に見える結果だけを見るのでなく、その現象がどのようにして現れてきたのかということを考えることが大切であり、このことが他の動物とは全く違う人間の特徴であると思います。… それを現在の理屈だけの教育を受けた多くの日本人は、ただ目の前の現象や結果だけを見て、喜んだり悲しんだりしておりますが、これは極端なことを言えば動物と同じだと私は思うのです。(63頁)

  インタ-ネットと平面の情報
・インターネットやテレビの画面というのは平面の像ですから、それを長時間見続けると、平面の像を誤って正しい情報として認識するようになり、人間の脳の特徴である平面の像を立体的な像に変え、真実の姿として見るということができなくなるのです。
 このようにして育った子供や若者は、気に入らないとすぐキレて人を傷つけたり、幼い子供を殺したりするなど、常識では考えられないことを行い、それにたいして悪いことをしたという反省が見られないなどと、よくニュースなどで取り上げられています。(68頁)

  生物の分子とブラウン運動
・ブラウン運動は、生物の細胞の分子だけでなく、宇宙を伝わってくる光とか、ニュートリノなどは全て波動で伝わってきます。波動というのはブラウン運動で、宇宙の中に満ちた天然の気で動いているのですから、障害物のない限り、どこまでも飛んで行きます。… けれども、これに他からエネルギーを入れると、機械の分子と同じ直線の働きになってしまうのです。直線というのは続かず、必ず終わりがあるのです。…
 我々の体をつくっている細胞の分子は波動、つまりブラウン運動をしているのですから、膨大な数の細胞からできている人間の人生もまた、自分の力で生きる、つまり直線的な人生は機械の分子と同じで、そこにいのちがなく長続きしませんので、終わりがあるということです。
 ですから、若い時から目的に向かって一直線に進む人生は、一見正しいように思われますが、実は間違いだと思うのです。…
 すなわち人生というものは、自分以外のものと対立するのでなく、神さまやご先祖さまをはじめ、全てのものと一体となって生きるのが、真実の人生であるということを伝えてきたのです。(118-119頁)

まだまだ、伝えたいことは沢山ありますが、紹介はこの辺で終わります。

私達は神道というと古事記に記されている古代の国つくりで活躍した○○の命を神様としてお祀りしている程度にしか理解していないのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。昨年から古代の埴輪に興味を持ち、先祖とのつながりを意識したことが神道への入り口でした。その中で、日本書紀に出会い、読み始めると、私達の先祖の活躍する姿を知って面白さが見えてきました。

1200年以上も続く天皇制は世界では唯一の制度で、我々多くの国民の支持(畏敬する心)があるからです。その基底には、神道にある自然観をはっきり認識していなくても、共感する感情があると思います。それは葉室氏が述べている次の言葉です。
日本人の祖先はこのすべてのものを形づくる宇宙の働きを、理屈ではなく肌で知っていて、これを神さまと して尊び、それに順応する生活をしてきたのです。

現代の技術一辺倒では、人生の表面しか見ていなかったと反省しています。目を向けないと、見えるものもみえず、自然の深みなど、見ることも感じることもできないことを認識しました。今回は、民衆信仰の神田明神と伝統的な神社である春日大社を考えてみました。

また、この文章を書いている2月23日は天皇誕生日でした。24日にはロシアがウクライナへ武力侵攻を開始しました。一人の独裁的なロシア人の思いだけで、世界を混乱に落し入れています。人間は、生きているかぎり、人格を向上する努力をしなと平和な社会を作ることはできないと思います。企業でも大学でも国でも、すべてはリーダの質により決まります。

 

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