生きるとは何か - No.23-2

本を出版しました

2023年2月1日発行

人生70歳を過ぎた頃に、せっせと働き生きてきたことを振り返り、「生きることは何か」ともう一度立ち止まり、確認することも必要なことであると考え、考察した結果を小文にまとめ始めました。今、80歳を過ぎて過去からの時間を考えてみると、瞬時の出来事のように思われます。なぜ「あっという間」と感じるかは、この先の残された時間が少ないからと思います。砂時計の残りが少なくなると落下速度が速く感じられ、あっという間に終わります。

 60歳定年後からの経緯を少し振り返ります。

禅宗の寺(臨済宗龍源寺:松原哲明住職)で坐禅と法話を聴き始め、住職の現地を見ることが大切であるとの考えで、勉強会(三宝会)の仲間と共に住職の先導で、日本の祖師方が訪れた中国の仏教寺院やインド仏跡などの現地参拝の旅をしました。10年後、残念なことに哲明住職は71  歳で亡くなりました。

哲明住職亡き後、住職が主宰していた三宝会の仲間と相談して、勉強会を継続する形で、月一度の輪読会が始まりました。そこに「生きるとは何か」と題し科学的知見を入れた小文を書き、資料として提出し、その資料を一年毎にまとめて小冊子を作成していました。

 一冊目の本作り

2011年2月から始めて2018年11月で7冊の小冊子がたまりましたので、まとめをして本として自費出版することにしました。本の出版は初めてのことで、7冊もあるとかなりの分量があり、どのようにまとめたらよいか見当がつかず、知り合いだったサンガ出版社の社長に相談しました。編集者を紹介され、何度か相談し、まとめ方を検討するも、とにかく分量が多過ぎるので、三分の一位に縮小するように指示され、テーマを絞ってやっとのことで2019年8月に出版にこぎつけました。その本は写真に示すように「生きるとは何か」と題し、副題に「仏教の根本には科学がある」としました。少し内容を欲張ったために420頁になりました。内容も大きく削った箇所もあり、説明が不十分なところも散見されました。

     

私にとって仏教は専門外の初心者ですから、それぞれの分野の専門家の智慧を借りたため引用が多くなりました。当然、メインストリーは私の仏教理解を中心としてそれを補強するための引用でした。

この本で言いたかったことは、私たちの「いのち」は宇宙と一続きの身体を持って、心が身体と一体となり、一度限りの人生を生きているとの思いです。

第一章:仏教の根本には科学がある
第二章:自然が育む身体と心
第三章:禅で説く本来の自己
第四章:テーラワーダ仏教は釈尊の教え
としてまとめました。 

本はある程度売れていましたが、2020年にサンガ社長が瞑想中に突然倒れ、帰らぬ人になり、会社は解散し終了してしまいました。今、新書本は入手できませんが、中古本としてインターネットで購入はできます。

二冊目の本作り 

その後2年経過し、「生きるとは何か」の小文資料も溜まり、読み直して見るとものを見る視点も少しは深まったと思い、昨年4月に再度、本にしてみようと考えました。出版社を探したところ、偶然に鎌倉にある「銀の鈴社」を知って訪問し、2年分の小文原稿を持ち込み、条件としては250ページ以内にしたいと希望を出し、検討をお願いしました。

24編の小文資料を先方で吟味して15編を使用して流れをつくり、「生きるとは—もう一人の自分探し」と題名を付け提示されました。6月中旬に契約し、原稿の作成が始りました。

著作権法のこと

銀の鈴社から引用については、それぞれ引用許諾申請をして下さいと言われ、参考書式を提示されていましたので、その書式に則り提出しました。その中で、ある出版社から著作権法に則っていれば自己責任の範囲で判断して下さいとの返事を受けて、著作権法を調べました。
初めて著作権法を調べ、正しい引用の方法・書き方を確認しました。

参考までに記述します。
1. 自分の文章と引用する文章に関連性があること
2. 文章中で自分の文章と引用文章が明確に区別されて一目でわかること
3.引用文章を改変しない
4.自分の文章がメインで、引用はあくまでサブであること
5.出所が明らかになっていること

著作権法には、公表された著作物は、引用して利用することができる。との文言がありますので上記の約束を守れば、特に引用許諾申請をしなくても利用することができることになります。

今回、引用した箇所を出版社に提出しなくても問題なかったと思います。NHKの「こころの時代」の数冊の本からも引用していましたので、まとめて出版局に提出しましたが、担当者から著作権法に準拠していることを確認されれば結構ですとの返事がありました。 

 多くの出版社とのやり取りをしてみると、出版社によっては正しく著作権法を理解していないで、本の依頼者に適切なアドバイスがなされていないことが分かりました。

一回目の出版時は、編集に関わった方のリードが良くて引用許諾申請をしなくても問題がなかったことを知りました。また、許諾申請するのはよいが、受けとった側で判断に困るような書式では二重手間になり、かえって時間がかかることも経験しました。

二冊目の本の完成

原稿の校正は2回の契約でしたが、途中から章の追加や大幅な修正をしたことにより、三回の校正となり予定より2か月延びましたが、何とか1月末に出版できました。

「生きるとは」に対する基本的な姿勢は前回と同じですが、社会状況も大きく変化してきていますので、時事問題も正面から取り上げて書いています。

第一章:生きていることの不思議
第二章:混迷の国際社会
第三章:私たちの先祖
第四章:生きている意味を問う
第五章:人生に後戻りはない

の五章に分けて、自分の人生観を反映し今日的な問題を考察しました。出来あがった本は写真に示すように表紙は黒で文字は金色として重厚さを出しました。出版社の提案です。

      

第一章は一冊目の「生きるとは何か」の第一章と二章を要約した内容ですが、新たに書き直しています。その一は「人生で長い日は今日の一日」としました。今日は実感として時間の経過を感じることができます。当然のこと、今ここに生きているからです。過ぎ去った過去も、まだ来ない未来も、生きているこの時に凝縮されて今があることを思うと、この一日は活動できる最も長い時間であると感じます。

その二は「あらゆるものは心を離れて存在しない」、その三は「自然と一体である人間」など宇宙の中で生みだされ、生命は宇宙のリズムと共振していることなどを述べました。

第二章では国際社会を混迷させている根底には「人間とは何物」かと、問うべきと思い考察しました。混迷する状況下でも「慈悲のこころ」を持て戦後の日本の独立に大きな支援をしてくれたスリランカのジャヤワルダナ元大統領の顕彰碑があることを知り、演説の全文を入れた冊子を2020年に作成していす。今回の本ではジャヤワルダナ師の仏教理解について触れました。更に、戦乱の続くアフガニスタンで献身的な活動をされた中村哲医師の活動にも感動して記載しました。

現代の日本では、東日本大震災での原子力発電所の炉心溶融という大事故も忘れたかのように再稼働や運転延長が議論されています。まさに今こそ事故の重大さを再考するときとの思いで記述しました。

第三章では、現在の私たちすべての人は先祖から繋がりがあり、その遺伝子を引き継いでいるのです。古墳時代の渡来人に興味を持って現地調査などをして、身近に先祖を感じました。また、日本人のこころは神道が大きな影響を及ぼしていると言われます。神田明神と春日大社を取り上げて考察しました。特に、春日大社の元宮司の葉室頼明氏の現代的な解釈に感銘を受けました。

第四章は「生きている意味を問う」と題して、NHK講座で知った旧約聖書の「コへレトの言葉」を取り上げました。講師の小友氏は講座の最後に「明日が見えなくても、今日を生きよ、今、この時を生きよ。涙を拭いて前に進め。明日に向かって種を蒔け。コへレトは、そう呼びかけています。」と結んでいます。
その4では混迷の中の日本仏教と題して、安倍元首相の銃弾で倒れた衝撃的な事件にも触れて、日本仏教について言及しました。

第五章では「人生に後戻りはない」として、無常の世を生きる我々の人生について考えました。

この本のまとめから結びの言葉を抜粋します。

・あらゆるものは、留まることなく変化し、流動する過程(プロセス)なのです。
 それを仏教では無常の姿であると言っています。
 変化するからこそ新たな自分が生れます。
 変わらない「私」という実体が在るように思うのは「幻想」です。
 真実の姿に気づくことで、怒り、苦しみ、妬み、貪りなどの感情が薄らぎ、心は安らかになります。

・「私」という閉じられた意識の中の人生が、身体と心は宇宙が生みだした「いのち」であると気づくこと
 で、「私」が解放され、新たな人生が始まります。

81年の人生経験を踏まえて、仏教を学び「生きるとな何か」と私なりに体得した人生観で書きました。

今回の本の作成経緯や「生きるとは」と探索した内容がご参考になれば有り難いことです。
2月になればアマゾンや書店で注文できます。よろしくお願いいたします。
出版社のアンケートに忌憚のない
ご意見や感想を頂ければ、今後の参考にして探索を継続したいと思います。

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