生きるとは何か - No.23-5

ある技術者の人生論

2023年5月1日発行

人生論を説くような柄ではありませんが、自分が生きてきた過去を振り返ってみてどの時点が折り返し点なのか考えてみました。人にはそれぞれ人生を変えるポイントがあると思います。小学生の時、中学生の時、大学生の時それぞれに思い出はあります。しかし、これら学びの時の私は世間に問えるようなことは何一つない平凡な青春時代でした。

実社会では目の前の課題に対して、一つ一つ問題に対応することに追われましたが、解決できたという達成感はありました。一般にはなじみのない分野の仕事でしたので専門用語が多用されていますが、この部分は軽く流してください。今回は、現役当時に所属していた電気学会の電気絶縁技術に関係あるシニア向けのニュースレターに投稿することも兼ねましたので、専門用語はそのまま使用しました。

人生は定年後からの時間をどのように過ごすかも重要となります。私は60歳から人生の方向を転換しました。一人の平凡な技術者が選んだ生き方の事例として読んでいただければと思います。

実社会での学び

大学では応用化学を学びましたが、就職先を考えた頃は化学や繊維会社の業績がよく人気がありましたが、これからの産業社会で必要とされるのは電力エネルギーであると思い、求人情報に東芝がありましたので入社面接試験を受け入社しました。配属は重電機事業部門で発足したての研究所の配属となりました。この研究所は事業に直結する製品の基礎技術や要素技術を研究開発する部門です。

入社して最初の課題は金属を溶融する高周波誘導炉の炉壁内面に充填する石英粒子の最密充填の研究です。高周波誘導管は水冷のため溶融炉の内側に充填する石英粒子が最適充填していないと溶融金属が浸透して水冷管に達すると爆発します。その粒度分布の最適化を求めるものでした。このように大学で学んだ知識とはほとんど関係ない目の前の事業で必要な問題解決をすることでした。テーマは数年毎に変わりましたが、30歳頃は大電流を気中で遮断する時に発生する気中アークを消弧する無機材料とその部品が研究課題でした。

30歳代での学び

その後、有機絶縁材料関係の課題に転換しました。グループを組んでいた若手の技術者が電極支持板であるフェノール樹脂表面に発生する銀メッキ電極からの銀移行のトラブルに苦戦していました。早速、原因究明と対策実験に参加し、最終的には外部の大気環境汚損で発生する窒素酸化物や硫化物が大きく影響することを突き止め、対策として電極間に高絶縁性塗料を施すことで解決しました。当時は急激な経済成長下で大気汚損もひどく、電機製品にも影響した製品事故がしばしばあり、絶縁材料のトラブル対応も緊急の仕事として飛び込んできました。

一例として、電力導体支持の絶縁板に起こるトラッキング現象がありました。この防止のために絶縁材料開発や絶縁トラブル(絶縁破壊による焼損)などのクレーム対応をしました。当時は色々な形態の絶縁トラブルがあり、設計担当と電力や鉄鋼会社などに同行し事故原因調査と、その再現試験ならびに対策結果の報告などを年に数回対応していました。

昭和40年半頃からは高度経済成長で産業用の電機製品も高電圧・小型化となり、絶縁技術もコンパクトな絶縁構造が要求され、複雑な構造を成形樹脂で一体成形や注形樹脂でのモールドが使われます。それに対応するには、性能の高い成形材料(成形し易く、欠陥のできにくい不飽和ポリエステル樹脂に無機充填材を入れたプリミックス樹脂)とエポキシ注形材料の高性能化(無機充填材の種類や粒度、エポキシの種類など)が必要とされました。絶縁材料を効率よく製品に適用する製造技術の開発も合わせて向上させることが求められました。これら絶縁技術に対応していると40歳になっていました

40歳から50歳代での学び

この頃から、同じ事業部の他工場で生産している高電圧機器の絶縁にも関係するようになり製品開発やクレーム対応に軸足が移っていました。大電力用のSF6ガス開閉装置の絶縁スペーサの品質管理や製造技術に関係して、製造担当の関連メーカとの技術交流や不具合対応がありました。また、軽量化が求められていた大型のポリマーブッシングの技術開発に関連して海外メーカとCGRE(大電力国際会議)を通して委員会での議論や共同試験へ参加をしました。その中で屋外用エポキシ樹脂の評価試験法の共同試験への参画と、国内委員会での試験結果の検討や国際会議へ出席する機会も増えて視野が広がりました。

42歳頃に、社内のプロジェクトに参画(電力用リン酸型燃料電池)が求められ、苦手な英語で海外を行き来するようになりました。このプロジェクトでは大きな炭素電極板の国内製品化を担当し、設計技術者と共同して、提携先の技術をベースに国産の製造ラインを制作しました。
海外との仕事が一段落して、自グループ内に保有する絶縁技術をどうしたら活用できるか考えていた時に、交通事業部の設計担当者から国プロジェクト(リニア―山梨実験線)が提案されたが、地上コイル(浮上と推進)関係は技術的に対応可能かどうかの相談を受けました。条件付きで、地上コイルの絶縁技術は責任を持って対応すると即答しました。それから約5年間は山あり谷ありでしたがプロジェクトは無事終了しました。

気がつくと、すぐそこに定年が迫っていました。退職2年前、58歳で東芝を定年退職し、その後は社内の人材会社に所属して、管理業務が一切ないフリーの立場になりました。

お世話になった絶縁部門に何を残せるか残すか、総合研究所図書室に籠り、過去10年の国内外の文献(物理、化学、窯業、高分子材料関係)を調査しました。その結果、ナノ粒子を充填した材料(ナノマテリアル)がそれぞれの分野で新たな潮流となりつつあることを知りました。基礎研究のための研究費と人員を確保して2年間の研究の結果、新たな電気絶縁材料(ナノコンポジット)となる可能性を見極めたところで、後輩にバトンを渡し退職をしました。ここで実社会での仕事は終了、60歳になっていました。

実社会で得た教訓 

・依頼を受けた仕事は専門外でも断ることはしない。
上司が仕事を指示するのはある程度の能力があると期待するからで、全力で対応すること。
当然、全てが成功するわけでもなく、失敗もあるが、そこから学ぶことは多くあり、次の進歩の糧となる。
・成し得た経験は、必ずその後の仕事に役立つ時がくる。
海外との初仕事、仕様作成、海外メーカとのやり取りなど多くの困難もあつたが、その時の経験が、その後のプロジェクト推進に非常に役に立った。また、30代での材料開発や製造技術の経験が国プロでの技術開発時に大きな力となった。
事故対応時は冷静に相手方と対応すること。先方の状況も理解して丁寧に応答すること
 難題も解決する。
相手は製品事故で生産に影響が出ているので強い語調で説明を求めてくる。こちらは相手の状況をよく理解して対応をすること。無理な注文に、語気を荒げての応答はしない。不思議と問題も解決する。自分をコントロールする良い実践の場と心得ること。

60歳代で利益や効率優先の社会から離脱

・60歳で退職した頃、母親に認知症の兆候があり、両親だけでは生活が厳しくなることが予想されました。10年間は恩返しと思い、介護生活に時間を優先することにしました。兄弟二人で交代しながら世話をすると決めてスタートしました。実質的には隣町に住む弟が6から7割は面倒を見てくれて、私は月に3泊4日で2回から3回実家通いをして、弟の息抜き時間を確保しました。母は自宅介護生活6年、85歳で亡くなりました。父は認知症もなく、庭の草木の世話を楽しんで、週一回のデイケアサービスを受けての生活が10年続き、100歳で天寿を全うしました。

・空いた時間の趣味として書道と絵画を始めました。書道は週一回近くの書道塾に、絵画は時間を見て写生を始めました。しかし、趣味と言えども楽しむためのレベルアップは必要です。縁あって数年後には、それぞれの道の指導者にめぐり逢うことができ学習する楽しみが生れました。

・今までの経験を活かすために電気学会で調査専門委員会の立ち上げ(退職1年前)と、幾つかの委員会にも関係しました。この活動はあくまでボランティアで70歳まで継続しました。

・仏教の勉強をするために、関係のあつた東京三田にある臨済宗龍源寺(松原哲明住職)で月一度の坐禅会に参加し、法話後に和尚が取りまとめをしていた自主的な勉強会(三宝会)に誘われたことで多くの仲間が出来ました。和尚の引率で円仁、道元、空海などが修行した中国ゆかりの地や玄奘三蔵の足跡を巡った旅行、更には、インド仏跡巡拝などは大きな財産となりました。残念ながら、2010年に和尚は70歳で逝去しましたが、残された仲間と勉強会は継続することになりました。

新たな学びをゼロからスタートしても、10年継続するとそれぞれの分野の門口には立てるようになりました。
書道は毎日書道展に入選、絵画は中堅の公募絵画展に入選するレベルになり楽しみが生れました。仏教は基本的な教えが整理できて、無常が分かり、科学的な事象が仏教の理解に役立つことを学びました。

・両親の介護は子供の義務です。兄弟が譲り合い協力することで恩返しができました。
介護をすると決めたことで、企業から離れ価値観の異なる世界があることに気づきました。人間性をとり戻すために仏教の世界を学び、生きることの意味を問う時間が出来ました。これも両親が与えてくれた贈り物です。

 70歳からの新たな人生

70歳の時、100歳の父を看取り、介護生活は終了しました。完全な自由時間が与えられたので早速、以前から学びたいと思っていた、中村元先生が始めた、東方学院の授業を受講しています。
東方学院の授業
この学院は学びたい人が一人でもいれば授業が成り立つとする現代版寺子屋です。2012年から加藤講師の授業をとりました。中国唐代の僧義浄がインド僧院の日常生活を書き残した「大唐南海奇帰内法伝」や、その前の南北朝時代399年に中国に渡った僧法顕の「法顕伝」の原文を翻訳しながらの講義でした。また、前田理事長からは中村元著の「〈生きる道〉の倫理」や「〈生命〉の倫理」など6年間受講しました。現在は「現代脳科学と仏教心理学」と「坐禅の実習と『正法眼蔵』の提唱」の2講座を受講中で、坐禅は来馬住職の観音院での坐禅と提唱です。既に5年が経過しています。

輪読会の継続
哲明和尚の亡き後は、三宝会の仲間と「輪読会」(月一回)を継続していましたが、コロナ禍で会議室に集まっての話ができず、一時期はZoom会議をしました議論するには不向きで参加者も少なくなり輪読会そのものを終了しました。毎回小文の資料を配布して、話し合いの種としていた小文資料も今年4月で累積136回となり、「塵も積もれば山となる」の喩がありますように、かなりの分量となりました。3年前に、それまでの資料を整理して2019年に自費出版で「生きるとは何か」と題して初めて本を上梓しました。最初の本は欲張って420ページと厚くなり、感銘を受け本からの重要なポイントの整理は出来ているが、十分に消化しきれていない箇所もあると感じていました。
継続している輪読会資料も、2年分が蓄積したので、前の本を補完する意味もあって、最近の世間の出来事を仏教の視点で再整理することを思い立ちました。仏教の学びも少しは深くなりましたので「生きるとはーもう一人の自分探し」と題して本(2023年2月)にしました。本は200~250ページを目標に内容を選択し、人生80歳で得た人生観を語りました。

 熱き思いで冊子を作る
鎌倉の大仏殿高徳院にある「ジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑」を「日本を救ったブッダの言葉」として冊子を作成しました。日本の戦後処理のサンフランシスコ講和会議でジャヤワルダナ師が日本を分割統治する意見もある中で、真の日本の独立が必要であるとブッダの言葉を引用した演説が骨子です。高田先生から借用したスリランカ紹介の本に掲載された演説の全文読んで非常に感動して、是非とも多くの日本人に知って欲しいと思いで、一気に作成(2020年9月)しました。この冊子の縁で多くの人と新たな繋がりが生れています。
82になった今も繋がりの輪は広がっています。4月25日に鎌倉ロータリークラブの例会に招待され、駐日スリランカ大使の卓話を聴き、終了後に高徳院での懇親の機会に恵まれまれました。写真は顕彰碑を見ている大使夫妻とロータリークラブでお世話してくれた柴田氏です。

この縁が出来たのは、テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老とミャンマーやスリランカ仏跡巡拝の旅行時に知り合い、交流が続いている関谷弁護士のお陰です。関谷氏は、顕彰碑の製作経緯を動画作成して、冊子の裏表紙にQRコードを付け容易に理解が深まるようにしてくれました。個々別々に走っているのですが、まるで共同作業をしているような繋がりです。有難いことです。

80歳からのメッセージ

・人生は出会いにより縁が生れ、新たな展開が広がります。先々どの様な出会いがあるかはわかりません。一日一日を努力して行くだけです。

・人生は長いようで短いです。生きているのは今日一日です。何時死ぬ
かは分かりません。
生きている今を大切にして下さい。

厳しい障害も乗り越えた星野富弘さん

4月3、4日に一泊二日で群馬県にある「わたらせ渓谷鉄道」沿線の桜見物と星野富弘美術館を訪ねる旅を輪読会の友人3人で楽しんできました。
「星野富弘氏は1946年生まれ、群馬大学を卒業し、中学の体育教師となり、クラブ活動指導中に頸椎を損傷し、下半身不随となる。手足の自由を失うが口に筆をくわえ文や絵を描き始める。」現在は立派な星野富弘美術館があり、参観者も多く、円形の壁面に沿って絵が展示され、ゆっくりと鑑賞できるようになっています。どの作品も心が癒される絵とそれにあった言葉が添えられています。写真は展示されていた絵の一例です。口に筆をくわえて描かれたとはとても思われない素晴らしい絵、文章も確りとメッセージが伝わります。

自然を守ろうなどという人の身体も自然そのもの
世界中悲しいことばかり
人間という自然も守ろう

人間の身体は自然そのものです。普段、私たちはそれに気づいていません。私という個人は自然の身体が在っての私なのです。心と身体は一体です。心に生じる邪念が、悲しい現実を生み世界中に蔓延しています。自然破壊が叫ばれているが、人間も自然であることを自覚して自然を守りましょうとのメッセージが伝わりました。

美しい花が散るように身体も無常で、絶えず変化しています。世にあるすべての物は無常の姿なのです。富弘さんは身体的な自由を失っても、心の自由は広く、強靭です。五体満足な我々は、何でもできる自由があるのです。心の働きに気づけば大きく羽ばたけます。

今回は平凡な一人の技術者の人生を眺めました。現在活躍している現役の皆さん、シニアの皆さんもそれぞれの人生の歩みがあります。同じ人生の人は誰もいません。
その場その場で、今日一日と思って最善を尽くすことで、各自の人生が生れます。
シニアニュースレター50回記念に駄文を綴りました。ご参考になれば幸いです。

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