生きるとは何か - No.23-7

生きている今がすべて

2023年7月発行

日々に時は過ぎて行きます。時は私の都合で待ってくれません。80歳を過ぎたころから一つ歳をとるごとに運動能力が落ちて行くことを実感しています。私の住んでいる川崎市麻生区は男女共に平均寿命が日本一で男性84.0歳、女性89.2歳とのことです。女性は驚くべきことに89歳です。家の近くに老人福祉センターがありますが、多くの会員が集い、活発に活動しています。なぜ日本一になったかの理由は分かりませんが、地形が変化に富み、上り下りが多く歩くと足腰が鍛えられる感じもします。最近は、平均寿命の84歳(今年82歳)までは元気で居たいと思い、せめてもの健康法として、最寄りの駅までの上り下りの坂道を少し遠回りして40分位かけて買い物に出かけています。

生きている今を考える

生きているとは無常の世界に居るということです。私の身体は呼吸をし、食物を食し、絶え間なく外部からの補給がないと維持できません。身体の内部では、口から入った食物を咀嚼し、胃袋で消化され、小腸で多くの腸内細菌の助けを借りて最少のアミノ酸などの成分まで分解されて初めて体内に吸収されるとのことです。以前、分子生物学者の福岡伸一氏の著書「動的平衡:生命はなぜそこに宿るのか」を読んで感動した思いがあります。その時は「生きるとは何か」をテーマとして小文の資料を作成し始めて2回目(2011年3月)のことです。そこに抜粋されている言葉の幾つかを再録し、少し考察します。

・私たちの身体は、たとえどんな細部であっても、それを構成するものは元をたどると食物に由来する元素なのだ。
・私たちが食物として口に入れるものは、肉にしろ、穀物にしろ、果物にしろ。すべて元はといえば他の生物の身体の一部であったものだ。なぜ、私たちは他の生命を奪ってまで、タンパク質を摂り続けなければならないのだろうか。

最近はグルメ志向で、若い人たちを含め我々は美食になり贅沢な生活を送っていますが、もう一方では明日の食事もままならない人々も多くいます。世界的には、食料危機が叫ばれている地球環境で、経済発展の名目で飽くなき経済活動が進められています。生きるために他の生命を闇雲に奪い続けいることを考え直すときなのでしょうか。

・タンパク質はアミノ酸にまで分解され、アミノ酸だけが特別な輸送機構によって消化管を通過し、初めて「体内」に入る。体内に入ったアミノ酸は血液に乗って全身の細胞に運ばれる。そして細胞内に取り込まれて新たなタンパク質に再合成され、新たな情報=意味をつむぎだす。

・新たなタンパク質の合成がある一方で、細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っている。
なぜ合成と分解を同時に行っているか? それは合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するように自分自身の状態を調節することができる。これはまさに「生きている」ということ同義語である。

口から取り込んだ食物も最小単位のアミノ酸になって身体の血肉となる過程にも複雑なプロセスがあるようです。ここでは触れていませんが肝臓や腎臓などの各種臓器の働きも必須であり、総合的な働きがあって私たちの身体は成り立っています。しかし、生体の働きは我々が意識することなく、自発的に自然の摂理に則りなされています。今ここに、生きているということは、自然の働きで生かされていると知ることが大切です。

・私たちにできることはごく限られている。生命現象がその本来の仕組みを滞りなく発揮できるように、十分なエネルギーと栄養を摂り(秩序を壊しつつ再構築するのに細胞は多大なエナルギーと栄養を必要とする)、持続性を阻害するような人為的な因子やストレスをできるだけ避けることである。

・生命が「流れ」であり、私たちの身体がその「流れの淀み」であるなら、環境は生命を取り巻いているのではない。生命は環境の一部、あるいは環境そのものである。

TVを見るとビールや嗜好品とならび転職を促すCMがやたらと目につきます。過剰な飲み食いは健康を害しますし、競争の激しい経済活動もストレス要因と思います。過剰摂取や過剰ストレスは生命活動を持続するための阻害要因となります。
この世に存在するすべての物が、絶え間なく変化しているプロセスであり、当然、この「私」も時々刻々と変わっていることに思い当たります。固定した実体としての「私」は存在しません。分子生物学から見た「生きている今」の一断面を考えてみました。

大きな障害を負っても逞しく生きている人(星野富弘さん)の言葉と絵を紹介します。絵に添えられた言葉は、示唆に富んでいて心に響く思いがします。

これからあなたをたべます
あなたを茹でてたべます
あなたのいのちが私のいのちになり
私はあなたの分までいきるのです
あなたのいのちを頂きます

星野富弘さんのことは前回のDeis51号で紹介しましたので省きますが、絵や字を書くのに使えるのは口にくわえた10グラムの筆一本だけです。寝たきり状態の生活です。しかし、私達に大きなメセージを発信しています。
美術館を訪問した際に買い求めた「花の詩画集:種蒔きもせず」から今回のテーマに相応しいと思った絵(あなたのいのち、菜の花)を使用しました。

       

人間以外の他の動植物のいのちを頂いているという謙虚な心が平和な世界を生み出すのではないでしょうか。良いからと押し付ける剝き出しの闘争心は争いの元です。

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