生きるとは何か - No.23-8

古代歴史から現代を考える

2023年8月1日発行

島根、鳥取の山陰地方を旅行し、出雲大社の存在感が群を抜いていることに気づかされました。出雲大社を中心に古代日本がそこにはあるような感じです。周辺の地域にある日御碕神社(ひのみさき)、須佐神社、八重垣神社などを個人ではなかなか行けないところを旅行社のツアーで効率よく参拝できました。この旅行までは日本文化の一つとして神社の厳かな雰囲気や社殿の優美さなどに見とれて参拝をして、由来についてはあまり関心を払っていませんでした。

写真1:出雲大社拝殿

祭神は大国主命
礼拝は二拝四拍手一礼
参拝者がバンバンバンバンと四拍手しているのを見て何をしているのと少し驚きました。
「四拍手してご縁を願う」とパンプレットには書かれていました。おみくじも大吉や吉などはなく、ご神託が項目ごとに書かれています。

写真2:日御碕神社

出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される歴史ある神社です。神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれます。
楼門の正面には下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」があります。
こちらには神話の中でスサノオの姉とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られています。

古代日本の始まりは古事記に神話として記載されています。以前、現代語訳の本を読みましたが、実感として空事のような記憶しかありませんでした。今回、観光旅行として見学するのでなく、この機会に、人生勉強の一部として少し内容を深掘りしたいと思いました。先ずは、出雲大社の簡単な歴史からみてみます。

 「古事記出雲神話のあらすじ」(現地で入手した山陰遊悠絵図から転記)

イザナギとイザナミによって多くの島や神が生れます。イザナミは火の神を生んで亡くなり、悲しんだイザナギはイザナミに逢いに黄泉の国を訪れます。しかし、連れ戻すことはできませんでした。黄泉の国を出て身体を洗い清めると、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子が生れます。スサノオはアマテラスのいる高天原で乱暴をはたらいて追い出され、鳥髪山(船通山)に降り立ちます。そして斐伊川の上流で娘がヤマタノオロチに食べられてしまうと泣く老夫妻に出会います。スサノオは、娘のクシナダヒメを嫁にもらうことにし、ヤマタノオロチに酒を飲まし眠らせ、剣を振るって退治します。この時に大蛇の尾から出てきたのがいわゆる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(三種の神器の一つ)です。二人は宮殿を築いて暮らし、多くの子どもができました。その子孫のひとりがオオクニヌシです。
 オオクニヌシが、ヤガミヒメに求婚に向かう大勢の兄神たちの荷物を担いで因幡の海岸を歩いていると、ワニに赤はだかされて泣いているうさぎを見つけます。オオクニヌシはうさぎ助けます。うさぎはオオクニヌシのことをヤガミヒメに伝え、ヤガミヒメはオオクニヌシと結婚します。これを妬んだ兄神たちは、山から赤猪を追うから捕まえろと言って、赤く焼いた岩を転がり落してオオクニヌシを殺します。しかし、女神たちの力によってオオクニヌシは蘇り、幾多の試練を経て、スサノオの娘スセリヒメとも結婚し、スクナヒコナと一緒に国作りをします。アマテラスはこの国を譲れと次々と使者を使わします。オオクニヌシの息子のコトシロヌシ(エビス様)とタケミナカタが国譲りに同意し、オオクニヌシは出雲大社の建立と目に見えない幽世を治めることを条件に国を譲りました。

オオクニヌシは求婚に向かう兄神たちの荷物担ぎをさせられ、因幡の海岸でワニに赤はだかにされた白うさぎを助けた心優しい神です。結果としてヤガミヒメと結婚することができ、兄神たちの恨みをかい殺されています。しかし、女神たちに助けられ蘇り、更に幾多の試練を経て、スサノオの娘と結婚し、スクナヒコナと国作りをします。アマテラスに国を譲れと強引に迫られ、出雲大社を建てること、目に見えない幽世(あの世)を治めることが認められ国譲りをしています。現実の世界では鉄剣を持つ大和政権と青銅剣の出雲政権では力の差が歴然で結局服従させられ、出雲大社の建立だけが認められ統治権を奪われています。

この神話を読んで皆さんはどのように思いますか。当時、すでに大和地方を中心とする大和政権が形成されていったと考えられます。大和政権は次々と各地の氏族を武力で平定し、この過程で中国地方の出雲の氏族も戦に敗れ、政治的な統治権は失われ、彼らの存在を証明できる社の建立だけが許されたのでしょう。神話に登場する大国主命は心根が優しく民衆に慕われる首長であつたと想像されます。それ故に、現代でも縁結びの神,福の神として民衆に慕われています。

出雲神話はいつ頃の話(田中英道著:「日本国史」,育鵬社、2022)

 ・関東・東北中心とした縄文の時代は紀元前二千年ぐらいまで続きますが、弥生時代にちかくなってくるときに、だんだんと西に人口が移動してきます。同じ時期に大国主命あるいは関西系の氏族が非常に力を持つようになりました。大国主命は天照大神から朝鮮あるいは西の方の海の管理を命じられたスサノオの子孫で、出雲に割拠していました。そして九州・中国・近畿という西日本を統治していました。そこに天照系、つまり東日本の日高見国系(高天原)の人々が「国を譲れ」といって何度か使節を送りました。その最後に送られたのが建御雷神(タケミカヅチノミコト)です。建御雷神は強力な刀の神様で、鹿島神宮の祭神です。

建御雷神は大国主命の三番目の息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)と稲佐の海、つまり、出雲で相まみえました。その結果、戦わずして逃げたということが神話に書かれています。

写真3:稲佐の浜

国譲りの神話や国引きの神話(出雲風土記)の舞台として知られています。
旧暦10月10日に全国の八百の神々をお迎えする神事がこの浜で行われます。(パンフレット参照)

出雲大社からほど近い浜で、周辺は整備され観光スポットになっています。

昭和59(1984)年、この神話に対応する考古学的な発見かありました。出雲の荒神谷で358本の銅剣が出土しています。その銅剣にはバッテン(×印)が付いており、それは恭順の意を示すために付けて、全部まとめて埋めたと田中英道氏は解釈しています。

古事記に書かれている時代は、歴史の上では弥生時代の後半で2000年以上前に日本の国の形が造られ始めたころです。これは史実に裏付けられた神話なのではないかと思います。

政権を取った権力者が伝承をもとに、古事記として日本の国作りの物語りを作成したと考えます。 神話と言っても、その裏には人々の実際の活動があり、それらは根も葉もない空想物語りではなく、勝者側の記述ですので脚色はありますが、実際にあった史実として読み直すことも出来るのではないかと思いました。にわか勉強ではこれ以上は語れませんが、古代史を学び直す切欠にしたいと思います。

現代にも生きている神話

社会人として配属された先が東芝府中でした。府中市には大國魂神社があり、通勤時にその前を行き来していました。大きな神社であり、5月の大祭の「くらやみ祭り」が有名で神輿が出て盛大な祭りがなされていると認識はしていたが、当時は、由来などにはあまり関心がありませんでした。

主祭神は大國魂大神で大国主命と同じとのこと。武蔵国の総鎮守で祭りの時の神輿の六の宮は杉山神社(杉山大神)であることをこの調べのなかで知りました。今、住んでいる隣町の稲城市に杉山神社があり、秋になると子供たちが引いて町内を回る太鼓のドーンと鳴る音が聞こえてきます。府中のくらやみ祭りの時も大太鼓(日本最大)のドーンという音が今でも耳に残っています。

古事記に登場する神が身近な生活の中にも溶け込んでいることを知ると、歴史の繋がりを感じてきます。このような諸行事(神事)が日本人の感性に影響を及ぼしているのかと思いました。

二千年の風

重度の障害により口に10グラムの筆を銜えて絵を描いた星野富弘氏の絵と言葉を紹介します。

古代からつながる現在の私達にも、草花にも

二千年の時を超えて
吹いてくる風を
私も全身に受けている」

と時空を超えて繋がる「今」を生きている喜びが生き生きした絵で表現されています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

コメントを残す

*