生きるとは何か - No.23-9

あなたは誰ですか

2023年10月1日発行

人は悩みや人生への漠然とした不安や物足りなさを感じているときに、ふと寺の門をくぐる時があります。日頃は「人間とは何だ」、「自分とは誰か」、「どこから来たのか」など人間存在の根本に触れるような問いかけをすることはほとんどないことでしょう。

60歳で退職し、縁あって東京三田にある臨済宗龍源寺の坐禅会に参加したある時の法話の時間に、住職の松原哲明和尚が参加者に紙を配り、この紙にこれから質問する答えを書いてください。「あなたは誰ですか」と質問されました。ただし自分の名前や住所、職業ではありませんよと言われましたが、全く何を書いてよいか皆目わかりませんでした。暫くして、誰も答えられないので、説明されたのですが、言われたことの内容はすっかり忘れしまいました。当時は、せっかくの説明も、多分、理解できませんでした。

20年後の今になって、人生の中で、「あなたは誰ですか?」との問いかけに答えることはできるようになりました。その内容の本質を理解するのは、その後の仏教の学びを通して長い時間が必要でした。

仏教を学ぶ面白さを知る

哲明和尚が指導する勉強会の中で、山田無文老師の注釈した臨済録(唐時代の臨済宗の祖臨済義玄の語録)を読んでいた時に、その問いに答える言葉に出会いました。
その言葉の一つは

赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ、看よ。」です。

山田無文老師は「お互いの肉体の中に、修行する必要のない真人が一人いる。全宇宙、お互いの感覚の届くところはどこへも行く、主観と客観もぶち抜いて、そこに一人の真人が働くのである。こういう立派な真人が、仏が、みんなの体の中にちゃんと一人いる。こいつを見分けるのが、それをしっかりつかむのが、見性というのだ。それがはっきり分かるのが、無字が分かったというのだ。」と述べています。

また、人(主観)と境(客観、世界)の関係について述べた箇所では、「主観と客観とは離すことができん。我と世界は一体のものである。肉体と心がぴったりと一つに動いておるように、世界と自己もぴったりと一つに動いておるのであって、これを別物に考えないという体験が禅である」と言っています。

人の本質についてこのような見方ができるのかと知りました。私たちの肉体と心が一体となって働き自然の一部を構成している自分がそこにいることを学んだと思います。
その後、思考を深めるために、自然の中での位置づけを知ることが必要だと思い生物学の本を読んでみました。そこには知らなかった世界が広がっていました。人間と植物とバクテイリアなどが一続きになった世界があることを全く知らないでいました。この地球上では、存在するすべてのものが完全にバランスし、素晴らしい世界を作りだし、共生していると知りました。

生物学から学ぶ自然のなかの人間

わかりやすい生物学の本を探した結果、寄生虫研究で著名な藤田紘一郎著「寄生虫博士のおさらい生物学」(講談社)は最前線の生物学について、一般の私たちにも興味を持って読める内容を提供してくれています。そこからほんの一部ですが引用します。興味を持った方は是非とも一読することをお勧めします。

1)人間は動物で、植物とも親類だ

  • 動物も植物も、生きるためにはエネルギーを作り出さなくてはならない。動物はエネルギーを作り出すために餌を求めて歩き回る必要がある。しかし、植物は自分自身でエネルギーを作り出すので、じっとしていられる。
  • 植物は二酸化炭素と水から太陽の光エネルギーを使い、炭酸同化の働きで、炭水化物(でんぷん)を合成している。この光合成の働きは無機物から有機物を合成する自然界では唯一の機会である。
  • 動物を含めて生物界すべてのエネルギーの出発点は、植物が光合成によってとり入れる太陽の光エネルギーなのである。植物の炭酸同化が地球上のすべての生物の栄養やエネルギーのもとになっている。動物はタンパク質、核酸や脂肪、ビタミンなど生きるために必要な物質は、すべて直接あるいは間接に、炭酸同化作用で作られた炭水化物を原料にして合成されている。
  • 動物も植物も構成の基本単位は細胞である。動物性細胞と植物性細胞の差はそれほどない。核やミトコンドリアのような、生物が生きるために必要な細胞内小器官は動物や植物に共通したものなのだ。

地球上に存在する命あるものは太陽光のエネルギーによって生かされています。

2)人間のスタート

子供が親に、頼みもしないのに勝手に生んだなどと、気に食わないことがあると腹いせに言うことがあります。しかし、身体の中での誕生のドラマを知ると、よくこの世に生まれたものだと感謝したくなります。奇跡的な出来事なのです。

  • 一回に射精される精子の数は約1億~5億個である。精子は子宮や卵管のなかを突っ切って進む。尾を波打たせながら移動するが、何の障害物もなければ、30分で約10センチ移動する。
  • 子宮や卵管の粘液や絨毛組織は精子の進行を妨げる。また、女性の体の免疫系が精子を異物として排除する。このような障害をすべて乗り越えた数百個の精子が卵に到達する。卵に到達した精子たちは尾を振りながら頭で卵の外側に穴をあけようとする。
  • 数百個の精子の頭の先端から出る物質によって、卵の外側に穴ができる。やがて、一個の精子が卵に到達すると、卵の膜が変化して、それ以上精子が入れないようになる。もちろん、やや遅れて入りかけていた精子も閉め出されてしまう。
  • 5億分の一の幸運をつかんで卵に侵入した精子は、その尾は切り落とされ、精子の外側の膜と卵の膜が一つに溶けて融合し、精子の内容物は卵のなかに放出される。
  • 卵のなかに入った精子はゆっくりと中央部にある卵の核に近づいていく、核には母親の遺伝物質であるDNAが入っていて、ここで精子が運んできた父親のDNAと出会うのだ。精子のDNAと卵のDNAとが出会うと、約12時間後に最初の細胞分裂が起こる。つまり、23本の染色体どうしがうまく合体すると、46本となって、人体の細胞を作り上げることになる。これから、新しい人間形成に向けて、細胞分裂と増殖が開始される。

(3)バクテリアがいなければ地球は絶滅する

  • 私たちが吸う空気、私たちが摂取する食物、野菜やフルーツの育つ土壌、これらのすべてにバクテリアは棲んでいる。地球上には多くの生物が生きているが、強いものが弱いものを食べる「食物連鎖」を通して、エネルギーと栄養素の受け渡しをしながら生活している。
  • 食物連鎖によって動物がほかの動植物を食べて栄養素にする一方、体に不用なものを排泄しながら生きているが、それも寿命が尽きると、生物は自然に死んでいく。死んだ生物や動物の排泄物を処理してくれているのがバクテリアなのだ。
  • すなわち、バクテリアが、生物を作ってきたタンパク質や脂質、核酸といった有機物質を無機物質や原子に分解しているのだ。バクテリアによって分解された無機物質や原子は土壌、岩石、河や海に堆積し、蓄積される。
  • 生物学では地球を生物の棲む生物圏と、生物の棲まない非生物圏とにわけているが、バクテリアは生物圏から無機物質を作りあげ非生物圏を形成する「大切な生きもの」である
  • 太陽の光は地球のすべての生命のエネルギー源であり、バクテリアは生物の排泄するすべての有機物を分解し、無機物として非生物圏に蓄積する。その無機物を植物が吸って太陽のエネルギーで有機物を作る。このような循環が地球上で行われているのである。
  • もしバクテリアがいなければ、動物の死骸や排泄物はまったく分解されない。路上には動物の死骸や排泄物が山積みされるだろう。非生物圏に無機物が戻ってこないので、植物は光合成をする材料を失う。植物はやがて地球から消え、地球上には有機物がなくなるから、動物も死に絶えてしまうだろう。
  • バクテリアとヒトを含む動物、そして植物といった生きものは、地球という限定された空間で、ともに生きており、バクテリア、動物、植物のどれ一つを欠いても、地球はなり立たないのだ。これが本当の「共生」ということであろう。
  • ヒトは自然を美しいといって常に賞賛している。しかし、表面的に美しく見る自然のベールを一枚剥けば、そこにははげしい生物たちの生存競争の姿が見えるはずだ。自然は決して平和ではない。自然界のルールは弱肉強食、それだけだ。私たちにとって自然は残酷である。しかし、バクテリアにとって、自然の残酷さそのものが、ふつうの姿なのだ。その自然の残酷さがなければ地球それ自体が循環しないからだ。

    おさらい生物学を読んで、私にとってはおさらいどころか初めて知ることばかりでした。文明が発達して、人間がこの地球の主人のような振る舞いをしているが、思いあがりも甚だしいことだと教えられました。人間は脳が大きくなり、思考が発達し、自分達の意識や考えだけで、世界は回っていると思っています。自然の一員であり、他の生き物と同じ基盤の上に生きて、助けられていることを忘れているではないでしょうか。人間として、この世に生まれたことにも、ヒトの意識や思いなどがとうてい及ばない、深遠な自然の摂理が働いていることを知るべきです。

    今ここに、生きているだけで素晴らしいことだと思いました。自然環境の保護や地球環境温暖化の問題を真剣に考えるにしても、最低限度の知識は必要と思いました。植物や動物さらにはバクテリアとの関係など私個人としてほとんど正確に理解はしていなかったです。知ったつもりの浅知恵は害こそあれ、益がないと反省させられました。何事にも真実の姿をしっかりと見る目を持つことは大切であると痛感させられました。
    生物に関する僅かな知識の断片を述べましたが、それでも教えられることが多くありました。仏教の教えと関連して、身体や心の働きを深く知ることで、今、生きている不思議に感動して「あなたは誰ですか」の真実に迫る道を歩む糸口になりました。

    寺の門をくぐり、哲明和尚の指導のもと臨済録を学んで始めて出会った臨済禅師の言葉に感銘を受けました。この真人は私たちの身体の働きに現われています。自分という観念や思いや意識が働かなくても活発に活動している本当の自己があり、それは自然が生み出した身体と心があってなのだと気付くことができました。

    (今回の資料は、哲明和尚が2010年6月に亡くなり、その後、仲間と輪読会を継続し、2011年6月に資料「生きるとは何か」(5)でまとめたものに、加筆、修正を加えました。)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

コメントを残す

*