人生悠然

無常観の理解が根本

生きるとは何か - No.24-7 2024・7・1発行

  「私」という実体? 私たちは買い物に行ったとき、目の前の食材の価格が普段よりかなり高いと、代わりになる安いものを手に取り、どうしようかと迷い、その都度判断をしています。あらゆる出来事に対して何らかの判断が必ず伴い行動しています。また、買い物していると、陳列棚に並んだ多くの商品の情報が目に飛び込んで何を買うか思案しま […]

人生の意味を問う

生きるとは何か - No.24-6 2024・6・1発行

日本では戦禍も無く、平和な日々が送れていますが、世界を見ると、長期化したロシアによるウクライナ侵攻は解決の目処もついていません。更に、イスラエルによるガザ地区への爆撃も止む気配がみえません。国際社会が反対を表明し、避難民の援助をしている救援事業すら妨害をするような戦闘も行われています。この間に多くの民衆が負傷や死亡をし […]

民主主義の根幹に関わるフェイク

生きるとは何か - No.24-5 2024・5・1発行

世界の政治情勢は揺らいでいます。アメリカの時期大統領選挙でトランプ氏が有力視されています。日本から見ていた私は、前回の選挙でのトランプ氏の態度は異常としか思えなかったです。相手の言葉に耳を貸さないで、一方的に自説を主張する強引な態度に、アメリカの民主主義はどうなっているのかと驚きがありました。しかし、どちらの陣営も相手 […]

宇宙に繋がる命

生きるとは何か - No.24-4 2024・4・1発行

苦しみは成長の足がかり 古い話(17,8年前)ですが、坐禅会に参加していた龍源寺の北軽井沢にある研修施設で坐禅研修があり、昼の研修(坐禅と作務)が終了して、夕食後木立に囲まれた屋外で夜の静けさに浸っていました。そこに、今回初めて参加した中年の男性が近づいてきて、話しかけてきました。彼は営業マンで、お客さんから厳しい言葉 […]

仏教で何を学ぶか?

生きるとは何か - No.24-3 2024・3・1発行

人は何も知らず、この世に生を受けます。何時、何処に生まれるか、全ては偶然で、国も家庭も選ぶことも出来ず、与えられた環境で生活を始めなければなりません。私は、日本の普通の家庭に生まれ成長することができて、平穏な生活を送る幸運に恵まれています。しかし、明治以降の日本を振り 返ってみると、平穏無事な期間は長続きせず、戦争が繰 […]

無宗教と言われる日本人の信仰心

生きるとは何か - No.24-2 2024・2・1発行

新年は多くの人が神社や寺院に初詣に出かけ、健康と安全や世界平和、商売繁盛など人それぞれの願いが叶いますようにと参拝します。初詣参拝者ランキングをインターネットで調べると上55位までは以下のようでした。 1位 明治神宮(東京都)319万人 2位 成田山新勝寺(千葉県)298万人 3位 川崎大師(神奈川県)296万人 4位 […]

地球温暖化を考える

生きるとは何か - No.24-1 2024.1.1発行

厳しい寒さが巡ってきました。猛暑の夏では考えられないような寒さです。季節は確実に変わり、この変化は人間活動とは関係なく、大きな自然の循環です。この寒い冬には暖房が欠かせません。CO2を出さないクリーンなエネルギーで地球温暖化を防ぎましょうとの掛け声が聞こえてきます。年末の街にでると、輝くネオンサインと買い物を楽しむ人々 […]

常識の裏側を知る

生きるとは何か - No.23-12 2023年12月1日発行

人は全てを知ることは出来ません。生きることは、山あり谷有りの世界であり、平坦な人生はない。希望の大学に入学できて喜んでいるすぐ後に、田舎育ちの若者は、友人がいない寂しさに、つい甘い勧誘に乗り仲間が出来たとほっとしている隙に、洗脳の魔の手が忍び寄ってくる。気がつけばすっかり囲い込まれ彼らの、教義にのめり込んでいることすら […]

「私」はいません

生きるとは何か - No.23-10 2023年11月1日発行

日常生活の中で、誰もが毎日せわしく活動している「私」がいると、実感するのは普通のことです。朝起きてゴミ出しをして、玄関先にある落ち葉を片付けて、朝食を食べてから新聞を読む。これはある老人の一日の活動の始めです。今は老人となっていますが、以前は社会に出てバリバリと仕事をこなしていました。振り返ると青年、中年、熟年とそれぞ […]

あなたは誰ですか

生きるとは何か - No.23-9 2023年10月1日発行

人は悩みや人生への漠然とした不安や物足りなさを感じているときに、ふと寺の門をくぐる時があります。日頃は「人間とは何だ」、「自分とは誰か」、「どこから来たのか」など人間存在の根本に触れるような問いかけをすることはほとんどないことでしょう。 60歳で退職し、縁あって東京三田にある臨済宗龍源寺の坐禅会に参加したある時の法話の […]