生きるとは何か - No.22-4

戦争を止められな人類

2022年4月1日発行

世界中の人々の目の前で、繰り広げられているロシアによるウクライナへの武力侵攻はいつ終わるとも目途が立っていない。その間に、多くの女性や子供が、住み慣れた家を追われ、亡命を余儀なくされている。戦火で民家や公共施設や病院なども破壊されて、犠牲者は日増しに増えていく状況を見るにつけて、戦争をする人間の愚かさを感じます。

一人の大きな軍事力のある国の独裁的な指導者が、自国の領土を拡張する野望を持つたことで戦争は始まり、多くの犠牲を生み出しています。

 翻弄されたウクライナの20世紀の歴史

20世紀に入ってからのロシアとの関わりをインターネットで調べてみました。
ウイキペディアに時系列で詳細な記述がありますが、分かり易く解説された記事がありましたので紹介します。(宇山卓栄:メールマガジン、経営科学出版)

  • 1917年、ロシア革命で、ロシア帝国が崩壊し、レーニンの率いるソヴィエト政権が誕生すると、ウクライナは独立し、ウクライナ人民共和国が成立します。
    この時、初めて、「ウクライナ」という名称が正式な国号の中で用いられました。
    しかし、ソヴィエト政権はウクライナの独立を認めず、軍事侵攻し、1918年、ウクライナ・ソヴィエト戦争が勃発します。
    2年に及ぶ激戦の末、ソヴィエト軍がウクライナを制圧します。
  • 1922年、ウクライナは正式にソヴィエト連邦に編入されます。
    ウクライナ人は、ソ連時代も、弾圧され、多くのウクライナ人の知識人や民族運動家が処刑されました。レーニンの死後、スターリンが独裁を強めていく中、ウクライナ支配を強化していきます。ソヴィエト政権は1933年、強制的な農業集団化政策により、ウクライナ農民の土地を没収し、強制労働に従事させます。推定で400万から1000万人のウクライナ人が餓死したとされています。
    ウクライナ人にとって、スターリン時代が最も悲惨な時代とされ、ウクライナ人のロシアへの憎悪が刻み込まれていきます。
  • 第2次世界大戦がはじまると、ドイツが侵攻し、ウクライナが独ソ戦の舞台となり、国土が焦土と化します。
    ウクライナ人の死者は、兵士や民間人合わせて、800万人から1400万人と推定され、大戦中の最大の犠牲者を出した民族とされます。ウクライナ人の5人に1人が死んだ計算となります。
    ドイツが約500万人の犠牲者、日本が約300万人の犠牲者ということと比較しても、ウクライナの被害がどれほど甚大であったかがわかります。一般的な統計では、ウクライナ人の犠牲者は「ソ連の犠牲者」として表記されるため、気付きにくいのですが、「ソ連の犠牲者」のほとんどがウクライナ人です。
    つまり、このことは、ソ連軍が危険な前線にウクライナ兵を意図的に投入し、ドイツ侵攻の際、ウクライナの民間人が危険に晒されても、守らなかったということを意味しています。世界史の中で、これ程の多数の犠牲者を一度に出すような経験をした民族はウクライナ人だけです。
  • 1953年、スターリンが死ぬと、ウクライナ懐柔政策がはじまります。
    ソ連によって懐柔されたウクライナ人は法外な給与が支給され、飼い慣らされ、特権化します。一方、多くのウクライナ農民はスターリン時代と同じく、搾取され続け、貧困に喘いでいました。
  • 1971年、キエフの北110キロ、ウクライナ北部に位置するチェルノブイリ市近郊で原子力発電所が建設されはじめます。ソ連は、原発をウクライナに置くことを一方的に決定し、周辺のウクライナ人に何の説明もないまま、1978年、原子炉を稼働させます。
    そして、1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故が発生しました。弱い立場のウクライナ人が原発の負の側面を全て、引き受けさせられたのです。大国に支配され属国になると、搾取され続けて多くの人々は貧困に苦しむことになります。
    人類が国という領土を持つようになった古代から繰り返されていることであり、世界史を紐解けば、そこには領土拡張の野望を持った権力者が、軍事力を背景に侵略をする戦乱の歴史が記述されています。
    しかし、歴史を詳細に見ると、必ずしも権力者が征服欲を持った独裁者ばかりではない事実もあります。国民に暖かい心を持ち、近隣国とも友好な関係を築いた事例が日本の古代にはありました。

    世界史の中の古代日本

    既に報告しましたように、日本の4世紀から6世紀にかけて巨大な古墳が造られていた古墳時代に興味を持って調べてきました。ウクライナ問題のことで、世界に目を向けることも必要と考え、4世紀から6世紀の世界に目を向けると、世界情勢はゲルマン民族の大移動によりユーラシア大陸の激動の時代であること知りました。
    5世紀から6世紀の世界の勢力図を簡明に示した地図(図1)を見つけましたので参考に示します。
    図1の右側にある小さな島国である日本列島では大和朝廷が成立したとの記述があります。

      図1.5~6世紀の世界勢力図
    (宮崎正勝著、早わかり世界史(日本実業出版社、2020年第15版)

    解説によると、5世紀から6世紀は、各地の巨大帝国が内政問題で混乱におちいり、地球環境の寒冷化による北の遊牧民の活動が活発化して、ゲルマン民族の大移動が起こってユーラシアは大混乱時代に入ったとのことです。気候の変動が民族の移動を引き起こしています。
    そのために、ユーラシア西部のローマ帝国はガリア地方から混乱がはじまり、395年に東西分裂し、476年に西ローマ帝国が滅亡しています。東部の中国大陸では5胡と呼ばれる騎馬遊牧民が黄河中流域を占領。東アジア規模の民族移動による大変動期に入っています。

    東方の島国である古代日本の状況

    東方の島国である日本はどのような状況にあつたか、日本書紀、続日本記(宇治谷 孟,全現代語訳、講談社学術文庫、2020年版)、を紐解いて調べてみました。内容の主要なことが高校の歴史副読本である最新日本史図表(第一学習社、2014年版)に簡潔に記述されているので参照しました。

    日本書紀によると、3世紀から4世紀の応神天皇の時代(270年から310年)には多くの渡来人を受け入れて、日本文化の基礎が築かれています。

    渡来人の活躍(応神天皇270年~310年)

    ・14年春三月、百濟王が縫衣工女を奉った。… これがいまの来目衣縫(くめのきぬぬい)の先祖である。この年、弓月君が百濟からやってきた。奏上して、「私は私の国の、百二十県の人民を率いてやってきました。しかし新羅人が邪魔をしているので、みな加羅国に留まっています」といった。そこで葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)を遣わして、弓月の民を加羅国によばれた。しかし三年たっても襲津彦は帰ってこなかった。…

    ・16年八月、精兵を授けて詔して「襲津彦が長らく還ってこない。きっと新羅が邪魔をしているので留まって滞っているのだろう。お前たちは速やかに行って新羅を討ち、その道を開け」といわれた。木莵宿禰(つくのすくね)らは兵を進めて、新羅の国境に臨んだ。
    新羅の王は恐れてその罪に服した。そこで弓月の民を率いて、襲津彦と共に還ってきた。
                                 (日本書紀、217頁)

    中央アジアの弓月国の民で、弓月君は渡来人グループである秦氏のリーダと目されている人物ともいわれるが諸説あり真偽のほどは分かりません。精兵を出すと新羅が恐れを感じるほど、当時のヤマト王権は戦力を持っていたと思われます。以下は最新日本史図表より渡来人の活躍のまとめとして示します。

    応神紀14年 秦氏(はたうじ)の弓月君(うづきのきみ)が渡来。
        →養蚕・機織りを伝える。
    応神紀16年 西文氏(かわちのふみうじ)の祖王仁が渡来。
        →「論語」・「千字文」を伝え、文筆・出納に従事。
    応神紀20年 東漢氏(やまとのあやうじ)の祖阿知使主(あみのみみ)が渡来。
        →文筆に優れ、史部(ふひとべ)を管理する。

    続日本記に見る国家の安泰

    7世紀後半になると古代国家の中央集権体制が進み、律令による国の仕組みが整い始めてきています。続日本記は、第42代の文武天皇から始まりますが、近隣国とも友好な関係が築かれていて、内政も安定した様子が記載されています。

    近隣国との友好関係(文武天皇、慶雲三年(706年)

    ・正月12日新羅からの使者が帰国するに託して新羅王に勅書を送られた。
    天皇は敬(つつし)んで新羅王にたずねる。使者の献上した貢物はすべて受領した。王が国を領して以来、多くの年がたったが、朝貢に欠けたことがなく、使人もつぎつぎと送られた。忠実なまごころはすでにはっきりとあらわれている。自分はいつもこれを喜んでいる。春の始めでまだ寒いことであるが、王の身に変わりはないであろうか。国内も平安なのであろう。使人が今帰っていくので、安否を問う気持を伝え、国の産物を別掲のごとく託する。             (続日本記、76頁)

    応神天皇の時代はいざこざがあったが、文武天皇の時は友好な外交情況の様子がうかがえます。

    国内の規律を正す

    ・三月一四日 次のような詔が下された。
    そもそも礼というものは、天地の正しい法であり、人間の生活の手本である。道徳や仁儀も礼によって初めて広まり、教訓や正しい風俗も礼がそなわることによって成就する。ところがこの頃、諸司の官人の立居振舞いは、多くの礼の道にはずれている。そればかりかでなく、男女の区別がない状態で、昼となく夜となく集合している。また聞くところによると、京の内外にけがれた悪臭があるという。これらはまことに担当の役所が取締りを行わないからである。…
    高位高官の者たちは、自ら耕作しないかわりに、然るべき俸禄を受けており、俸禄のある人々は、人民の農事を妨げることがあってはならぬ。 (続日本記、82頁)

    古代社会の人として守るべき社会規範は現代と変わらないように思います。市中の風紀の乱れは、最近の渋谷や新宿など都心の様子を見るように思いますがいかがでしょうか。

    敬老・社会福祉の詔(天明天皇、和同元年、708年)

    ・高齢の人民で百歳以上のものは、籾.三斛(こく)*を与える。九十以上には二斛、八十以上には一斛、孝子・順孫(よく祖父母に仕える孫)・義夫・節婦は、家の門と村里の門に掲示し、三年間租税負担を免除する。男女のやもめ・孤児・独居の老人や、自活できない者には籾一斛を与える。
                                (続日本記、98頁)

    敬老・福祉がしっかりとなされていて、今の時代より手厚いのではと思うほどです。私達は平均寿命という数値に惑わされて、古代人の寿命は短いとの誤解があるようでが、百歳以上の高齢者がいたことに驚きました。高齢者や社会的に恵まれない人たちにも行政の目が行き届いています。
    *注:斛は容量の単位で、昔の斛は十斗で、随・唐代では約59リットル。
    (藤堂明保編、学研漢和大辞典、学習研究社)

      仏教の視点でウクライナ問題を考える

    人間は意識して心を制御しないと、欲望や妬み、怨み、憎しみ、怒りなどの感情に支配されて、動物たちより始末の悪い存在です。動物は命を繋ぐために、他の動物を殺さなければ生きられません。空腹になれば殺生しますが、満たされればそれ以上は殺しません。ブッダは人が守るべき五つの戒め(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)を示しています。
    第1番目が「殺すなかれ」です
    戦争になると殺し合いです。ウクライナでは無差別爆撃で多くの市民が殺されています。殺生する気持ちは人間にも動物にもある働きです。動物はあるところで本能的にブレーキがかかりますが、人間は意識を働かして、殺したい感情を抑えなければならないのです。
    2番目は「盗むなかれ」です。
    平和に暮らしている隣国を、自国の領土にしたいと思った権力者は戦力が勝れば、実行してしまいます。欲望が抑えられないのです。これも人間の本能のなせる行為です。ウクライナ人は自由のある西欧諸国に加盟したいのです。自国の領土拡張の欲望だけで行動を起こした戦争です。相手のことに思いを致すことができれば、理性が生まれ、踏みとどまれるのですが、ブレーキを踏むことを忘れています。人類の歴史を見ると、領土の奪い合いが果てしなく続いています。
    4番目は「嘘をつくなかれ」です
    自分の利益になることは嘘をついても悪いと思っていない。国内向けの放送は嘘で固められています。普段、私達は大なり小なり自己弁護のために嘘をついています。自分の利益を確保するためです。これも本能の働きです。意識して言葉を使わなければなりません。

    国もメディアも加工された都合のよい情報を流します。真実を見極めるのは難しいことです。
    五戒のうちの三項目(不殺生戒、不偸盗戒、不妄語戒)を守ることが出来なかった残念な事例です。誰でも理屈では分かっているのですが、守ることの難しさは体験していると思います。仏教の不殺生は人間を含む生きものを殺すなかれといっているのです。私達は動物(牛、豚、魚など)を殺しているのです。自分は殺していないといっても、新鮮な生肉は美味しいなどと言って食べています。

    しかし、争いを完全に止めることのできるブッダの言葉があります。

    「実にこの世に於いては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みが息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」(法句経 五)

    これこそが真理だと思います。ウクライナ、ロシア共に過去の大きな怨みがあって、感情を抑制することができないのです。怨みには怨みで、の感情で戦争をしています。

    このブッダの言葉が人々の心に届いた歴史的な実例が、2020年に作成した冊子「日本を救ったブッダの言葉」にあります。戦後、日本の敗戦処理についてサンフランシスコ講和会議が開催され、その会議でスリランカ代表であるジャヤワルダナ元大統領の演説がそれです。この言葉を語るには、その人の優れた人格が必要です。単なる知識では多くの人々を感動させる力にはなりません。

    思いつくままに。
    ・人間は強い軍事力を持つと領土拡張の欲望が生まれ、戦争を始める。
    有史以来の人類の歴史に刻まれている。
    ・人生の幸せは、日常のなにげない生活のなかにあるが、人は刺激を求めてやまない。
    ・明日何が起こるかは誰も知らない。生きている今がすべてである。
    ・知識として知っているだけでは使いものにならない。
    ブッダの言葉も繰り返しにより身に付く。

    ロシア、ウクライナ両大統領はエンマ大王にお任せすることにします。

    • 日本仏教では民衆信仰として言い伝えられています。

     

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